越前海岸停滞中

2003年7月3日

福井県越前町

 先日境港で書いた文章について、いくつかの疑問が寄せられている。
 まずは、あの小屋のメンバーから
「おかしい。マウイ(あの小屋の名前)のどこにもギターなどないはずである」
 ついで、名古屋の友人から
「河童はいつからギターが弾けるようになったのだ? 水かきがじゃまで、弦が押さえられないと言っていたはずである」
などというメールが寄せられている。
 あの文章は、文字数の関係で多少省略があって、それが疑問を生じさせたようである。そこで、ここに原文を載せておく。( )内が省略された文章である。

 夕方、外のベンチでコーヒーを入れ、暗くなっていく水平線をながめていた。小屋の中にあった誰かのギター(の代わりにほうき)を持ち出して「心もよう」をひいて(るように動かして)みた。次に「まちぼうけ」をひいて(いるように動かして)みると、気分が乗ってきたので、続いて「桜三月並木道」「Fun]「小春おばさん」ときて、最後に「おやすみ」を歌うと、かなり気が晴れた。

 本当に、文章はむずかしい。


 昨日はなぜか永平寺に行ってきた。一応出るふりをして、1時間ほどで戻ってきたあと、すぐ前に止まっている工事船に遊びに行って、おしゃべりをしていたら、
「じゃあ、永平寺にでも行くか。」
という話になり、かなり山の中にある永平寺まで連れて行ってもらった。さすがに永平寺は観光地で、平日にもかかわらず観光客の団体がいた。
 寺は、新しい建物と古い建物が入り交じっていて、複雑につながれていた。結局、よくわからないまま参観順路を回ってしまい、気がついたら出口であった。うーむ。

 ところで、境港からの話を書かねばならない。
 境港を出たあと、実は全然進んでいない。というとおかしいが、ずっと逆風で、距離がかせげていないのだ。境港を出た日も、本当は40キロほど先の赤碕という港をめざしていたのだが、昼を過ぎた頃から東風が吹き出して、また時速3キロの世界になってしまった。それで赤碕をあきらめて名和に入ったのである。

 翌日は、羽合町にハワイ温泉と言うところがあるので、ここに入ろうと漕いだのであるが、いざ港に入ろうと思ったら、港がない。東郷池という池と海がつながっていて、ここに港があると思ったのだが、なーんにもないのである。しかたないので、さらに5キロ漕いで泊村に入った。ここは風力発電の風車はあるわ、集合住宅はあるわ、なかなかおもしろいところだった。しかし、ハワイにはついに行けないのである。というのも、本物の、いや太平洋に浮かんでいるハワイに、河童は3回も行っているのに、一度も空港から出たことがない。どうもハワイには行けない運命になっているようだ。

 泊村を出たところ、今度は雷に遭遇した。漕ぎだして2時間、後ろからいやな音がして、見ると黒い雲が追いかけてきたので、近くに見えた港に逃げ込んだ。港に入る直前に雨が降り出し、かわうそを引き上げた頃には大降りになってしまった。ちかくの東屋に逃げ込んだが、寒い寒い。自動販売機に暖かいコーヒーがあったので、それを飲みつつ雨の止むのを待った。
 そういえば、雷に関しておもしろくない話がひとつある。
 某所で、かわうそを引き上げると、中年男性が見に来た。ここまではよくある話なのであるが、海の上で雷にあったらどうする、と聞いてきた。
「逃げます」
海の上では雲が見えるので、雷っぽい雲だったら近くの港に逃げ込む、と説明したのだが、この親父はなおも言い張って、
「雷雲なんてちゃっと動くだろう? そんなときはどうなるんだ」
としつこい。言っておくが、海上では雲の見通しは大変良い。さえぎるものがないし、雲は高いので数十キロ先の雲でも見ることができるのである。だいたい、雷雲のできるときなぞ予想ができるのであって、そんなことができないようでは海に出ては行けない。ついでに「ちゃっと」動く雲など存在しない。結局、この親父は、雷が金属に落ちるだの、どうのこうのと自分の無知をさらしたあげく、1人で納得して帰っていった。
 こういう人の言うことが聞けず、自分の貧しい知識の中で勝手に話を作り、なおかつ強引にまとめる自己完結ブーメラン型バカオヤジは、私に話しかけてこないでもらいたい。河童の支援スタッフにはいろいろな専門家がいるが、雷部門に関しては、日本最高レベルの学者に支援してもらっている。あまり詳しいことは書けないが、あちこちの大学にも特別講義をしにいっているという、某研究所の有名研究者がアドバイスしてくれているのである。
 この人によれば、
「電気を通そうが通すまいが、雷はともかく高いところに落ちる」
のだそうだ。
 ぜひ、このオヤジの上に落ちてもらいたい。

 雷が行ってしまったあと、ふたたび出発して入ったのは鳥取港である。本当は鳥取に入る気はなくて、もう一つ先まで行こうと思っていたが、雷待ちで時間をくったのと、砂浜ですっかりやる気をそがれた。というのは、鳥取の西は北条砂丘というところがあって、延々砂浜が続いている。わずかに鳥取空港の誘導灯が見えるぐらいで、あとは砂浜につきものの松林しか見えない。これがおもしろくないのだ。漕げども漕げども風景がかわらない。GPSの距離だけは減っていくが、本当に進んでいるのか疑心暗鬼になってくるのだ。それで、鳥取港に入っていった。
 さすが鳥取は県庁所在地で、温泉もスーパーもスポーツ用品店も何もかもあった。ついでに道沿いにあった変なものは、先日写真を載せたレーダーである。はじめはトイレだと思ったのだ。よく似たデザインのトイレは、日本全国にある(笑)。

 鳥取の次は、かなり漕いで浜坂町に入った。なぜここに入ったかというと、温泉があるからである。もはや「日本沿岸温泉巡り」の状況をしめしている「海道をゆく」であるから、温泉ははずせない。しっかし、ここの温泉には、他の温泉にはない施設があった。
 そもそもこの温泉は、融雪用の井戸を掘っていたところ、思いもかけず温泉が出てきてしまい、それならということで温泉施設を作ったらしい。量もかなりあると言うことで、各家庭にも温泉が送られるようになっていた。もちろん、いつもの通り、そんなものはどうでもいいのである。浜坂温泉の最高の施設は、温泉卵用の温泉につきるのである。駐車場の隅にトタン屋根の井戸のようなものがあって、これが温泉卵製造施設なのである。もちろん使用料ただ。生卵を買ってきて、ここに20分ほどつけておくと温泉卵ができるそうな。当然、河童的には実験すべきなのであるが、温泉から出てきたら雨が降ってきて、それどころではなかった。びしょぬれになりながら船に戻り、雨の中テントをはったのである。

 その後、久美浜を通り、丹後町に入った。ここで、低気圧の通過待ちで1日停滞して、若狭湾に入った。若狭湾の話はまた別の機会に書こうと思う。

目の前にとめてある工事船に遊びに行った
ら、永平寺に連れて行ってもらえた。
あいかわらず、運のいい河童である。
風向き以外は。
後ろは永平寺である。
畳の隅は四つつけてはいけないらしいが、
例外はお寺なんだそうで、永平寺ももちろん
べたーっと並べてあった。
どうしてなんだろう?
修行僧用のサンダル。
この型は見たことがない。
ナース用と同じく専用なのだろう。
キノコみたいな飾りが付いている。
永平寺のあと、丸岡城と千古の家という所へ
いった。ちなみに、これも国指定の重文なのだ。
「かけひ」だとか「いろり」などもあって、
4年生の資料にはもってこい。
受験生は見学に行くように。