秘湯中の秘湯

2003年6月16日

島根県大社町

 こういう旅をしていると、あちこちで「親は心配しているだろう」と言われる。どうも地方の人の価値観の中で、「親に心配をかけない」という項目は、そうとうの上位を占めているらしい.。河童的価値観の中に、そういう項目がないので、話をしている感覚がずれてしまってしかたがない。私自身は子供もいないが、仕事の関係上、相当数の親御さんとはつきあいがあって、親の気持ちというのは、多少想像がつく。申し訳ないが、親なんて、子供が何をしたところで心配するので、何をしたって同じことだと思っている。もちろん、しなくても同じことである。親を心配させたくないと言う理由で、何もしないというのは、生き方としておかしいと信じている。まして、最近の親は長生きなので、親が死んでから何かしようなんて思ったって手遅れである。したがって、こういう悩みをかかえている方に対してはこうアドバイスすることにしている。
「あなたの人生は、あなたしか歩めない」
 もちろん、私は親不孝者である。すまんねぇ…。

 さて、それで河童は出雲大社のある大社町にいる。いや、萩から4連続40キロオーバーのペースで漕いで、さすがに体が動かなくなった。今日は天気もいいのだが、漕ぐ気はまったくなく、コインランドリーで洗濯をしている。このあと、出雲大社に行って、河童に良縁をもたらすべく祈願してくる予定である。なにしろ、ホムペには書かなかったが、これまで四国の日和佐と萩で2回ばかしおみくじをひいた。日和佐では「待ち人 たよりおそし」、萩では「たよりなし来る」となっていて、いまひとつぱっとしない。ここいらで出雲の神様にお願いして、「待ち人 翌日配送」とか「たよりあふれる」とかにしてもらわないとおもしろくないのである。

 2日遊んだ萩を出たあと、温泉があるという理由だけで予定を10キロ越えて田万川町の江崎港に入り、翌12日は浜田市の津摩漁港に進んだ。本当は浜田港をめざしていたのだが、風向きが悪くて進めず、手前の港に入ったのだ。そして13日、温泉大好き河童さんが、どうしても行くしかない港があったので、そこをめざして40数キロ漕いだのである。その港の名は、「温泉津」である。

 ちなみに「温泉津」は「ゆのつ」と読む。地図でこの地名を見たとき、「行くしかない」と感じた。なにしろ温泉の港である。沿岸温泉評論家(?)の河童が、ここに行かないでどうする。たとえ少々遠かろうが、疲れをいやしてくれる温泉があるに違いないと信じて、連日の40キロ漕ぎもなんのその、パドルも軽く津摩を出たのであった。

 実はパドルが軽いのには理由があって、この日、枕崎以来の追い風が吹いていた。しかも、強力に、と表現していいぐらい吹いていて、相当怠けていたにもかかわらず、平均速度5.4キロ。びゅんびゅん吹く追い風に乗って、一気に温泉津まで行ってしまったのである。

 入港して、さっそく風呂である。自転車に乗り、教えてもらったとおり細い道を抜けていくと、港からは想像できない温泉街が隠れていた。細い路地の両側が、ずらりと旅館になっていて、その合間に公衆浴場がある。しかも、とても小さな集落なのに、ここに3つも公衆浴場がある。どこに入ろうか迷ったのだが、ここはやはり鯰の湯といところへ入ることにした。河童、かわうそなので、やっぱり統一した方がいいというのが理由である。入泉料200円と、洗髪料(いまどき別料金になっているのは珍しい)50円を払って中にはいると、湯ノ花のたっぷりついた浴槽があった。いかにも、古湯という感じである。汗を流してお湯にはいると、じわじわと疲れが流れ出していくような感じがするいい湯である。
 入っている人に声をかけてみると、ほとんど地元の人のようで、家に風呂があるにもかかわらず、みんな温泉に入りに来るそうだ。そりゃそうだろう。こんないい湯が、こんな料金で入れたら毎日来るに決まっている。

 そうして、河童がゆっくり風呂に浸かっているうちに、この町の店はすべて閉まってしまった。テントに帰って、さみしくラーメンを作っていると、先ほど水をわけてもらった老人がやって来た。木曽さんとおっしゃる方で、入ってきたときにお孫さんとといるところに声をかけたのだ。旅の話をあれこれしていて、なんだかんだと(いつものことだなあ)ビールまで頂いてしまった。おかげですっかり満足した河童は、テントでゆっくり休んだのである。
 ところが、翌朝5時に、
「朝風呂に行こう」
と木曽さんからお誘いを受けてしまった。公衆浴場は朝の5時から営業している。思いっきり魅力的であったのだが、先を急がねばならぬ。すでに予定が遅れていて北海道が危ないのだ。泣く泣くこのせっかくのお誘いを断らざるを得なかった。石見銀山でも案内しようと思ったのに、などと言われて、さらに心が大きく揺れ動いたのであるが、今は先を急ぐ。またの再会を約束して、木曽さんとご近所の方、それに温泉に別れを告げたのである。ああ、もったいない。

 しかし、温泉津は秘湯中の秘湯である。帰ったら、絶対もう一度行こう。

浜田市津摩で見た軍艦色の漁船。
理由を聞くと
「汚れが目立たないから」
なのだそうだ。
しかし、はじめて見たぞ。
温泉津のかわうそ。
こんな温泉街があるとは思えなかった。
風情たっぷりなのだ。
お忍びで来たいねぇ。
鯰の湯。
なんでも明治の頃、地震で湧き出したそうな。
掘って出た、のではないのである。
見送りにたくさん来てくれた。
左から2番目が木曽さん。
また遊びに行きます。