もしかして九州

2003年6月4日

佐賀県宗像市

 うーん、宗像市の国民宿舎「ひびき」に風呂を借りに来たら、風呂だけはダメで、レストランで食事をしないと入れないと言われた。しかたがないので、5階の展望レストランで刺身定食(1000円。これが一番安かった)なんぞを食べながら、ホムペを作っている。何となくくやしい気もするが、考えてみればメシ付き展望付き(というより偵察付き。明日、この前の海を通るのだ)風呂付きで1000円は安いのか。

 さて、6月2日に台風も過ぎた唐津を出て、志賀島に向かった。志賀島といえば、社会科的にはこれはもう絶対金印の見つかった島として見逃せない島なのである。ところが、楽しみにして志賀島をめざしたのであるが、西浦崎をかわして、志賀島が見えたところで、しっかり潮に捕まり、そこから志賀島が遠い遠い。ちょうど博多湾の入り口にあたるため、貨物船やらジェットフォイルやらがびゅんびゅん目の前を横切っていく中、日が暮れる〜と必死になってパドルを動かす河童なのであった。
 福岡在住の自作仲間、村上さんからメールをもらっていたのだが、携帯を取り上げるヒマがなかなかなかった。ようやくのことで志賀島にたどり着いたのはほぼ日没で、フネの片づけをしているうちに真っ暗になってしまった。でも、サポートしてくれる人がいると大変楽で、このあとシャワーに連れて行ってもらい、その後、食事をごちそうになった。この日も12時間ほど漕いだ河童は、腹ぺこ状態だったのだが、村上さんにもっと食べなさいと言われ、しっかり2人分の食事を詰め込んだ。

 翌日、ちゃんと4時に起きると、なにやら不気味に北風が吹いていた。だいたい朝方から吹いている風はろくでもないものが多いのだが、ともかく風呂のある港に移動しようと出港した。この辺りの港には、なぜか国民宿舎があり、たいていそこで風呂に入れる。鐘崎まで行くのがダメでも、津屋崎までいけば風呂に入れるはずであった。ところが、風はだんだんと強くなってきた。11時頃には、海面がところどころ白くなってきてしまって、進むどころの話ではなくなってきた。これはいかんと、目の前にあった港にいったん避難することにした。そうして奈多漁港に入ったのである。もちろん、風がおさまれば出ていくつもりであったから、フネも開けず、着替えもしないまま風が落ちるのを待っていた。しかし、待てど暮らせど風は落ちず、ついに午後3時、停滞を決めた。ところが、ここの港は大変いたずらが多いらしく、港のすべてにさくと鍵がついている。市場など、鉄のさくの中に自販機が置いてあるぐらいだ。防波堤は落書きだらけだし、漁船もいたずらを防ぐため岸壁から離して置いてある。そんな中で水を探したのだが、どこにも水道がない。いや、正確に言うと、あるにはあったのだが、さくの中だった。漁師はみんな帰ってしまったし、どうしようもない。フネの中に入れてあるタンクを取りだしたものの、たった2リットル。緊急事態である。
 結局、浴びる水も足りないので、タオルをしめらせて体を拭き着替えをしたが、塩をかけられたナメクジのような気分であった。

 結局、ここで停滞するしかないので、これまで連絡し損ねていたY−14クラブの有光さんに電話してみた。たまたまお休みだったということで、すぐに港まで来てくれて、そのまま買い物と風呂に連れて行ってもらった。ちなみに、この港、裏手の松林を抜けるといきなり市街地で、スーパーからホームセンターから何でもある。海岸線が何もないだけであった。

 4日は、朝は風がなかった。それっとばかりに準備をして5時半に漕ぎだした。なんとかして鐘崎に行かないと、本州に戻れない。9時の時報とともに、またしても北風が吹き出してきたのだが、なんとか12時に鐘崎に入港した。
 そして、近くにあった民俗資料館で海女の資料を見物し、風呂に入れると思って国民宿舎までやって来たのである。明日は西風が吹くとか天気予想が言っているので、その風に乗って、いよいよ本州に復帰する予定である。九州一周1ヶ月ちょっと。かわうそ号と言うことを差し引くと、まあまあのスピードかな。とりあえずは2日間向かい風を漕いで、背筋がばりばり言ってるんだけどね。

 さてかわうそよ、本州に帰るぞ。

唐津出発の河童。
志賀島を前にジェットフォイルが行く。
こいつ80キロ以上出てんだよね。
志賀島は陸続きだと教えていたのだが、
実は橋でつながっていた。
現地に来てみないとわからないことがある。
有光さんと記念写真。
今の河童。
ひさしぶりに(自腹で)こう言うところに入った。