河童、避難中

2003年5月30日

佐賀県唐津市

 河童は、台風避難中である。九十九島…をでて、2日で呼子町と言うところへたどり着いたのであるが、沖縄から台風が接近しているし、これは避難しないと危ないと思い、九十九島…から紹介された、唐津シーカヤッククラブの市丸さんにお願いして、かわうそ号ごと唐津シーカヤッククラブのクラブハウスへ運んでもらった。あそこはすごい、と九十九島…の人たちが話していたが、来てみたらマンションの1階の駐車場を改造したという立派な艇庫とクラブハウスがあり、ここなら伊勢湾台風が来ても安全である。すぐ近くにコンビニもあるし、ここで台風をやり過ごさせてもらおう。

 さてさて、うかれてはいたものの、28日はなかなかに大変であった。東の風が吹くなどと天気予想はのんきなことを言っていたが、平戸瀬戸はやや強い北風が吹いていた。河童にとって、吹く風はほとんど向かい風である。当然、かわうそ号はまったく進まず、前の日にあきらめて帰った日本本土最西端の碑を前に、しばし悩んだぐらいである。とはいえ、また戻ったところで食料も底をついているし、昨日よりは多少風が落ちていることを頼みに、島の間を北上したのである。しかしこの辺り、島が多すぎてどれが島で、どれが半島なのか見分けがつかない。入り江の向こうが抜けているのか行き止まりなのか、さっぱりわからないのである。だが、こういう時にこそ、河童の野生の勘は冴えわたるのであって、ただの一度たりとも行き止まりも突き抜けもしなかった。GPSの航跡を見ると、実にいい感じで島の間を抜けきっている。
 ただ、この間、まったくスピードが出なかった。2〜3キロという、歩くより遅いスピードで漕いでいたのである。もちろん、ほぼ全力で漕いでいてこの速さなのである。

 島を抜けてしまうと、いよいよ平戸瀬戸である。ここは東シナ海と日本海のつなぎ目で、幅わずか500メートルの海峡である。親切にも、事前に佐世保海上保安部が教えてくれたところによると、小潮にもかかわらず、最強3.3ノット(時速5.94キロ)も流れるという。もちろん、本来的には潮止まりをねらって出発したのであるが、河童を取り巻くさまざまな勢力(?)の妨害措置によって、潮止まりはとっくにすぎ、南から北へ盛大に流れている時間であった。追い潮だからいいや、などとのんきに漕いでいったのである。
 平戸大橋に近づくと、大橋の橋脚付近で盛大に潮波が立っているのが見えた。昨年、竜飛で見たのとそっくりである。写真写真などとカメラを構えてつっこんでいくと、はたしてものすごい勢いで流れていて、漕いでもいないのに時速7キロで進んでいる。橋を過ぎるとこんどは「潮流はやい。航行注意」という看板が見えてきた。たしかに、この看板の前は川になっていた。もともとが川出身のかわうそであるから、巧みにこの流れを越していったのは言うまでもない。しかし、これで終わりかと思っていたが、ここからまだ数百メートル「瀬」は続いたのである。しかも、最後の瀬を越える時、すぐ後ろを20トンぐらいのイカ釣り船がまったくスピードを落とさないまま突っ走っていった。やられたっ、と思ったが、すでに瀬の中に入っているので、方向を変えるわけにもいかない。斜め後ろからひき波を受けることを覚悟してパドルを握りなおした。10秒ほどして、ぶわっとスターンが持ち上がり、デッキの上を白波が走ってきた。バランスを取ろうとパドルを水に入れるが、すでにかわうそ号が流れにのって突っ走っているので、まるで手応えがない。すっと水を切ってしまった。とっさに体をひねってバランスを取った。1発、2発と越えて、3発目の引き波を越えるとき、今度はパドルが水にひっかかった。抜こうとしたパドルに波がかぶって、またしてもバランスがとれなくなった。冗談ではない。こんな流れているところで沈したら、河童といえども川流れである。とっさにパドルを押さえ込んで、なんとか窮地を抜け出した。

 なんとか、幅の狭いところを通り抜け、平戸城などを左に見ながら、やれやれ今度もなんとかなったわい、とほっとしていると、目の前に信じられない光景が現れた。瀬戸の出口、防波堤の外側に巻き波が立っている。しかもどう安くふんでも高さ1メートルはある盛大なゲールである。ロデオボートでも乗っていればおもしろかろうが、かわうそは、正確こそロデオボートなのであるが、性能はかわうそ並でしかない。
 このゲールを見た瞬間、これは越えられないと確信した。いくら追い潮でも、このゲールにつっこんだら、間違いなくフネが横を向く。そうしたら最後、あっという間にひっくり返る。やはりこれで終わりにはさせてくれないのである。
 さて、どうしたものか、じっと考えた。困難な状況に陥ったときこそ、知恵を働かせなければならない。あれこれ、逃げるパターンを考えてみたものの、いまひとつ決め手に欠けた。そうしているうちにも、流れにのってどんどん波が近づいてくるのである。と、そこへかわうそ号を追い抜いていった本船が河童の前を横切っていった。見ていると、波が立っている出口の右側に向かっていく。そしてそのまま行ってしまった。河童からは見えないが、別に出口があるようだ。それなら行けるかもしれない。しばらく進んでいくと、たしかにもう一つ出口があった。ここも左の方はゲールが巻いているが、右の方なら波が立ってはいるものの、かわうそ号でも通れそうだった。やれやれ、これで抜けられる。まだまだ激しく流れている中、波の少ない方へと漕いでいった。

 そして29日である。台風の動きを気にしつつ、かわうそ号を出した。というのも、九十九島…の方から紹介してもらって、唐津のシーカヤッククラブにお誘いを受けていたのだ。唐津に行けばクラブハウスもあるらしいし、台風もやり過ごせると考えていた。となれば、東風の予想であろうがなんであろうが、先に進むしかない。
 そう思って漕ぎだしたものの、都合の悪い予報というのはあたるもので、海上はしっかり東風が吹いていた。しかも、漕ぎだしてみると、この辺りは妙な潮が流れていて、あちこちに潮目ができていた。こうなると、もうどうしようもなく、ひたすら黙って漕ぐしかない。食料も切れたし、ともかく次の港まで行かないとしょうがないのである。
 結局、平均速度3.1キロで13時間半漕いだ。呼子港を通り過ぎて小友という港に入れて、ここで唐津シーカヤッククラブの市丸さんに拾ってもらい、唐津まで陸送したのである。

 さてさて、台風がどこへ行くか。しかし、九州に入ってから2個目の台風である。佐伯でも台風崩れの熱帯低気圧で停滞したし、今年も台風が早いなあ。

真ん中にぽちっとある白いのが
日本本土最西端の碑。
しょぼい。
九十九島に残る石炭採掘の跡。
どうみたって授業の資料なんだが。
どこが島なんでしょう?
平戸大橋。
この辺まではまだ余裕があるんだが…。
橋の下はこんなんだった。
レンズをふく余裕がない。
瀬戸の出口。
これは呼子の橋。
ここは秀吉の朝鮮出兵の基地だった所で、
この橋の右手に各大名の陣地があった。