十六夜の月は

2003年5月16日

鹿児島県枕崎市

 十六夜の月は人を迷わすなどというらしい。人ならぬ河童の身であるのだが、どうもこの十六夜の月にやられているらしい。なにしろ、いまだ枕崎から抜け出せないでいるのだ。

 15日、すなわち昨日は、この航海始まって以来の出戻りであった。8時頃、夜半から降り続いていた雨が止み、晴れ間さえ見えだしてきたので、これ幸いにとテントをたたみ、荷物をつめこんで出ていったのである。ところが、立神という岩を越えたところから、波と風に捕まりまったく進まなくなってしまった。枕崎の西に、坊岬という岬があって、ここを回れば、あとは九州西岸をまっすぐ北上することができるのだが、ここまでの5キロが動けない。GPSを見るとたった1.5キロ。それでも、せめて坊岬の向こう側にある、坊津というところぐらいはたどり着こうと3時間ねばってみたのだが、ふたたび雨も降り出してきてあきらめた。
 帰りは30分で港に戻れた。

 ところが、おり悪く大潮の干潮である。満潮時より2.5メートルひいているところへ入ってきてしまった。当然、スロープははるか下の方まで現れていて、普段は海中にあるあたりは、カキやらフジツボやらがわらわらと繁殖していた。ここにかわうそ号をあげると、船底に傷が入りそうなので、少し満ちるまで待つことにした。1時間ほど近くのフネに横抱きにさせてもらい、50センチぐらい海面があがってきたので、かわうそをスロープにつけた。
 やれやれ、徒労だったなあと思いながら、いつものようにころを入れ、よいしょとロープを引っぱったとたん、づりっとやってしまった。ドン、と鈍い音が響き、同時に激痛が走った。いつもならライフジャケットをつけたままフネを引き上げるので、体で落ちるのだが、潮待ちしている間に脱いでしまっていた。しかたなくヒジから落ちたのだ。さいわい、ウェアのおかげで皮膚は切れなかったが、その分内出血し、時間がたつにつれ、じんじんと痛みがひどくなってきた。
 まったく、徒労には徒労が重なる。

 それで今朝なのであるが、4時半に起きると十六夜の月が西に鈍く光っていた。天気は悪くなさそうである。風の予報は北の風となっていたが、それほど吹かないだろうし、もしかしたら陸風で南が吹くだろうことも予想できた。
 しかし、まったく気がのってこない。
 テントから出て、歯を磨いてみたが、どうにもこうにも動こうという気がしないのである。
 結局、30分ほど考えて、今日は出ないことにした。昨年の経験で、気乗りのしないときに出して、ろくなことになったためしがない。やめやめとテントに戻り、また寝直してしまった。
 そうして今日は出なかったのであるが、はたして絶好の漕ぎ日和であった。河童の読み通り、気温の上昇とともに風は南に回り、出していれば完全な追い風になったはずである。

 それでも、河童の判断は正しいのである。出さなくての後悔はフォローできるが、出してしまってからの後悔は、ときにフォローできないのである。迷ったときに立ち止まるのは、決して間違った判断ではない。

 なあに、新潟からフェリーに乗ればいいだけさ(笑)。

 しかし、ヒジ痛いぞ〜! 
(今朝、ついに枕崎漁協の人から「いつまでいます?」と聞かれてしまった。ごめんなさいね〜、先に進みたいのは山々なんです〜。あと1日お願いします〜。カツオの宣伝しますからお願い!)

カツオ船が入っていたので、水揚げを見学した。
遠洋もので、かちんかちんに凍っている。
こういうのは鰹節などの加工用に回るそうな。
うまいのは、やっぱり近海物だとか。
公園にヨットがあった。
あとで聞いたらキュウリ(いまきいれさん)がのってた
海連だって。
長渕さん、連絡取ってよ。彼女には会ってみたい。
モンベルのメッシュキャップをかぶっていたんだけど、
どこかに行ってしまった。昨年も途中でどこかに行って
しまったんだ。しかたがないので、麦帽を買いました。
これね、耳も焼けなくていいんだけど、風に弱いのが
欠点。
坊岬。
ここまでがたどりつけない。
まいった。
気乗りがしない日は、次のための準備にあてる。
午前中、あらたな帆を作っていた。100円ショップで
購入した竹とシートで帆ができた。総工費400円。
ちなみに、これをはるとまったく前が見えなくなるので、
あとで穴を開ける。これでデイラン70キロだ!