ついに佐多岬突破!

2003年5月11日

鹿児島県枕崎市

 わはは、ざまーみろ。ついに、とうとう九州最南端、佐多岬をかわしたぞ。ここまで来るのに何年かかった? 計画に3年。フネ作るのに1年。去年1年があって、やっとここまで来た。山ほどいろいろなものをなくして、やっとここまでたどり着いたのだ。ざまーみろ。

 9日、北東の風がやや強く吹くという予報に、内之浦を出てしまった。「やや強く」という予報は、風が5〜10メートル吹くという予報なのであるが、海上ではこれの1.5倍。ブローでは2倍吹くと思っていたほうがいい。もちろん、かわうそ号的には、たとえ追い風であっても危険な水準である。もちろん、普段だったらでやしない。しかし、この日ばかりは出てしまった。

 なぜかというと、いいかげん内之浦に飽きたからである。なるほどたしかにスーパーはある。温泉もある。しかし、それ以外のものは何もない。国民宿舎のロビーで、あまりうまくないコーヒーぐらいは飲めるが、それが限界である。河童にとって致命的なのは、本屋がないということで、完全に活字切れだったのである。

 そこで、漕ぎだしてしまったのであるが、朝からかなり吹いていて大変な目にあった。というのも、そもそも内之浦の港は、4キロも入った湾の一番奥にあって、ここから南へ向かうためには、一度反対の方向へ4キロ漕いで、岬をぐるっと回らないといけない。巡航速度5キロのかわうそ号が、この逆風の4キロをいかに漕いだかはご想像にお任せする。
 おまけに、この距離である。内之浦から佐多岬の先まで、港の情報がひどく曖昧だった。そもそも海図をもっていないので、曖昧も何もないのであるが、パソコンの5万分の1の地形図を見ると、何カ所か港がある。ところが、漁師にきいてみてもそんな港はない、というのだ。結局、確実に存在するのは内之浦から55キロ先の大泊という港、ということであった。運が良ければ、地図に書いてある港があるかも…という状態であった。
 結論から言うと、地形図にかかれていた港の何カ所かは存在しなかった。港とかいてあるところは、ただの砂浜であった。この辺が、どうもいまひとつわからない。あるいは昔この砂浜を港として使っていたのだろうか。

 この日は内之浦からロケットの発射があった。文部科学省が小惑星のかけらを持ち帰る探査機を飛ばすとかで、ラジオでさかんにどうのこうのといっていた。ロケット基地(?)は、ちょうどかわうそ号が通るところにあって、ロケットの見物としては最適である。しかし、この日の波は2.5メートル。これに追い風が加わって、とてもではないがゆっくり見物している状態ではなかった。そろそろ時間だなと思って、少しかわうそ号の向きをかえ、後ろをふり返ったところで、ちょうどロケットがあがっていった。以前、スペースシャトルの打ち上げを見た話は書いたが、何度見てもロケットの打ち上げというのはあっけないもので、おお〜と言っているうちに雲間に吸い込まれていってしまった。準備に何年もかかっていることはわかっているが、打ち上げたあと見えているのは30秒もないのである。ロケットが見えなくなったころになって、ゴーという地を揺るがすような、いや海を揺らすような音が響いて、それで終了である。

 ロケットは順調にあがったようであったが、こっちは大変である。午後3時になって、あてにしていた港がやはり砂浜であることを確認して、日没までに入れる、確実に存在しそうな港を探し、浜尻にいってみることにした。ここには地形図に防波堤がのっていた。少なくとも船だまりはあると信じた。
 ここまでの4時間をなんとあらわそうか。なにしろ残り22キロあった。この時、追い風のおかげで、波が悪いながら平均して5キロ弱のスピードが出ていたものの、もし風が変わればアウトである。かといって、他に入るところもないし、戻ることもできない。ひたすら、行くしかないのだ。

 結局、日没ぎりぎりで川尻に入港した。入ってみると川尻はかなり大きな港で、巨大な防波堤がそびえ立っていた。翌日数えてみたが20戸ほどの集落である。いくら何でもへんだと思って訪ねてみると、近くに自衛隊の射撃場があるそうで、その保証らしい。いわゆる迷惑施設の近くには、見返りでいろいろなものができるのである。
 この川尻であるが、いくらなんでも自販機ぐらいあるだろうと思ったが、集落にはそんなものはないそうで、河童はかなり寂しい思いをした。ただ、ここの人は親切で、朝出発の準備をしていたら、言えば公民館を開けてやったのに、と言われた。以前、やはりカヌーで来た外人はここの公民館に泊まったらしい。暗くなってから入ってきた河童は、いつも通りテント泊まりでした。

これは前の日に内之浦にあった看板。
見物席ができるらしい。
見たい気もわかるが、ここまで来るのは
苦労だぞ。
発射2時間前の様子。
海を見れば打ち上げの写真が無理なのは
わかるでしょ?
浜尻。
向こうの防波堤がすごい。
ちなみに、これでも台風の波は防げない。

 10日。実は佐伯を出るときに、密やかな目標をたてていて、10日までに佐多岬を回りたいと思っていた。もちろん、自然相手の航海に、こういう目標は実は自殺行為であって、くだらん目標を守ろうとしたがために命を落としたやつも、何人か知っている。だから、目標をあえて守ろうとか、そういう気はまったくなく、できたらいいなぐらいの軽い感覚で、ましてや実現できるとは思ってもなかった。

 しかし10日、実にいい天気だったのである。予報では東の風。佐多岬を回って、薩摩半島に向かう河童にとっては実におあつらえ向きの風なのである。そこで、やる気満々に浜尻を出ていった。佐多岬までの10キロは実に快適であった。佐多岬もおだやかで、写真なんぞをばんばん撮っていたら、デジカメの電池がなくなってしまった。
 ところが、佐多岬を回ったとたん、やっぱり潮に捕まってしまった。どれ、デジカメがダメならビデオでも、などと少しパドルから手を放している隙に、あっという間に西に流れていった。あれれ、と北に向かって漕ぎだしたが、全然北に向かわない。どんどん西へ流れていく。ようやくのことで、真方位北西、速度3キロになった。ばっかな。ここから開聞岳のふもとにある川尻まで20キロ漕がなきゃならないのに、3キロでは7時間もかかる。昨日も漕いでるのに、そんなに体力が続くわけがない。だが、まさか大隅半島と薩摩半島の間をずっと潮が流れているわけでもないと自分に言い聞かせてこぎ続けた。はたせるかな2時間ほどこぐと、潮もおさまって普通の状態に戻った。

 ジェットフォイルやらカツオ船やらが行き交う中、水道を横断して川尻にたどり着いた。港に入る直前、またしても潮に捕まって3キロしか出なくなったが、なんとか入り込んだ。ここには温泉があるので、さっそく風呂である。いつぞや名古屋のラジオで、
「去年のテーマは温泉巡りでしたよねえ?」
などといわれ、そんなことはないと否定しておいたのだが、やっぱりその通りである。まったく、帰ったら海沿いの温泉巡り番組でも作ってほしいものである。もちろん、河童がキャストを務めるのである。

これが佐多岬。
まあ、どうってことないいつもの風景ですわ。
佐多岬をバックに一枚、などとやっているうちに
どんどん流されていた。
川尻の朝。
朝靄の中テントをたたむ。
後ろは開聞岳。

 さて、それでもって本日11日である。

 まあね、河童の感覚では「佐多岬を越えてしまえば内海」であるから、まあなめきったものである。しかし、開聞岳のところは潮があるぞ、と漁師にきいていたので、ここだけは岸べったりで回って、あとは枕崎までまっすぐである。
 海はべたべた、風も無風。視程は10キロほどと悪いのだが、GPS持っているし、何の問題もない。と、思っていたのだが、思わぬところで問題が出てきた。河童の体である。

 この2日間、かなり一生懸命漕いだのが原因なのか、足がつってきた。9日は追い風のため、10日は潮のせいで、かなり足をつっぱって、パドルに力を入れてきたのだ。その痛みが今ごろになって出てきた。おかげで、この好条件の中、たった20キロを這々の体で漕ぐことになってしまった。30分に一度、クコピットからはいだし、足をのばして(普通のカヤックならばひっくり返るであろうが、かわうそ号ではこれぐらいのことはできる。もっとも、今日みたいに水平線がはっきりしないと、エンバーゴに入ってやばいんだよね)痛みを取りながら来た。

 それでいま、ひさしぶりに喫茶店なんぞに入り、コーヒーを飲みながらこれを書いているのである。今日はこのあと風呂に入り、帰りに居酒屋で1人祝賀会を開く予定である。なんたって、太平洋側が終わったんだぞ。これを祝わずにいられるかい。

開聞岳は高さ1000メートル弱。
これが海沿いにで〜んとたっている。
枕崎入港前。
視程が悪い。
最果ての駅、枕崎。
1日7本。