河童、ついに九州上陸

2003年4月24日

大分県佐伯市

 ついに九州上陸である。いや、もちろんフェリーで来たんだが、ともかく九州なのである。

 今朝は3時に起きて、テントをたたみ、荷物をすべてかわうそ号につめこんだ。悪いことに昨夜から雨が降り出していて、河童が合羽を着ての作業になった。まったく、テント暮らしで何がつらいと言って、雨の中の作業が一番つらい。だから朝、雨が降っていると停滞にしてしまうのだが、フェリーに乗るのにそんなことも言っていられないので、ともかくごそごそと用意をして、フェリーを待った。

 この高知県宿毛から大分県佐伯に行くフェリーは、4時間おきに24時間走っている。河童は7時の便に乗る予定だったのだが、5時半には準備ができてしまった。チケットの発売は、出港の1時間前からなので、しかたなくびしょぬれの合羽を着たまま、ベンチで待っていた。もちろん、あとでちゃんとふいておいたが。

 それで、いよいよフェリーがやってきて、他の車より先に、かわうそ号をのせてしまおうと言うことになった。前日から、フェリー乗り場にテントをはって、フェリーのおじさんたちと仲良くなっておいたので、話はスムーズなのだ。ところが、駐車場からフェリーの入り口につくまでの間に、船台の車輪がとれてしまった。というのは、間に溝があって、そこによくある格子状のフタがかぶさっていた。あれの間に車輪がはさまって、ネジごと抜けてしまったのだ。しかたないので、かわうそ号を持ち上げてもらい、再度車輪をはめ込んで、なんとか動けるようにした。その後も、また車輪がはずれ、フェリーからロープをわけてもらい、がんじがらめにしばりつけてなんとかフェリーに乗せることができた。まったく、大騒ぎである。

 この後、さらにフェリーから木ねじをわけてもらい、フェリーが動いている間に船台を補強していた。おかげで、四国最後の風景は見ていない。しかし、なにからなにまでフェリーの皆さんにお世話になってしまい、感謝感謝である。

 それで、なんとか佐伯について、今度は慎重にかわうそ号を運び出し(溝の前でフネを持ち上げ、車輪を浮かせて通した。後ろの車輪が通るときには、後ろを持ち上げた)、スロープめざして港の中をガラガラと引っぱっていった。
 こうかくと、ひどく簡単なんだが、実はスロープまでのおよそ500メートルは、この旅始まって以来の苦行であった。ちゃんと平行につけてあった船台の車輪が、さっきの騒動でゆがんでしまい、まっすぐに引っぱれない。港の道路も、舗装があちこちでひび割れていて、その度に持ち上げて通過させないと行けない。おまけに、雨はずっと降り続いていた。合羽を着て、かわうそを引っぱっていくのだが、まあこれが重いこと重いこと。やっぱり、ケチらずに大きな車輪をつけておけばよかったと、つくづく後悔した。今回の旅では、こうしたケチった部分がすべて裏目に出ていて、結局、不便な旅先で購入することになってしまった。やはり、旅の前はケチケチしない方が賢明である。

 どうにかこうにかスロープにたどり着き、テントをはって、かわうそをおろした。ここから、また旅の始まりである。さらば四国よ、また来る日まで、などと思っていたら、宿毛でお世話になったひとから電話がかかってきた。なんと、その人の軒先にカメラを置き忘れていた! おりからの雨で、カメラは水没しているとのこと…。
 結局、またしてもフェリーにお願いして、こちらに届けていただいたのだが、最後の最後でとんだハプニングである。いまから、カメラをドライヤーで乾かして、電源を入れてみるつもりだが、果たして再稼働するかどうか。ん〜、これは痛い!

宅配便で送られてきた船台を組み立てる。
完成した船台にかわうそ号をのせてお散歩。
この時点ではこわれなかったのだが…。
宿毛海上保安署の署長、日高さんとの記念写真。
宿毛でお世話になった山縣先生。
このほかにも、山下さんとか、いろいろな方に
お世話になりました。どうもありがとうございました。
山縣先生が、10年かけてつくったフネ。
中を見て納得。
ドッグハウスのフレームも、すべて積層。
ひとつひとつが、ものすごい手間のかかる造りに
なっていた。
23日の悲劇。
ソフトが立ち上がらなくなった。
CDを使うので、発電機を回している。
四国では、あちこちで電気をわけてもらって、
発電機を回さなかった。
フェリーに乗ったかわうそ号。
デジカメがなかったので、ビデオで撮った。
佐伯の宿泊場所。
後ろの建物は漁協。
最近、なしくずし宿泊が多かったのだが、さすがに
ここは挨拶に行った。快くOKしてくれた。