足摺岬はポーテージ

2003年4月22日

高知県宿毛市

 なんだかんだで22日である。高知を出て以来の足取りは、高知→久礼→土佐佐賀→下ノ加江→宿毛である。ちなみに下ノ加江→宿毛はポーテージした。なぜまた突然ポーテージすることにしたかをこれから説明するのである。

 まず18日に高知を出た。天気はまずまずだったのだが、朝から高知放送の報道クルーが取材に来た。これがまた、美人3人組というすばらしいクルーで、すっかり舞い上がった河童は、調子に乗ってあれこれと遊んでいて、出発が遅れた。いや、別にテレビクルーのせいで出発が遅れたのではなく、出ようと思ったら、ちょうどフェリーの出港とかち合い、やむなくフェリーが出ていくまで待っていただけの話なんだが、おかげで8時出発という、かわうそ号としてはやや遅めの出発になってしまった。この日の予定は久礼までで、距離は40キロである。
 桂浜の前で、撮影を終えて、一路久礼に向かったのだが、昼を少し過ぎて南風が吹き出した。この辺りは、天気がいいと海風、陸風がはっきりとあらわれるところで、おそらくその風のようだった。この風がだんだん強くなってきて、まずいことにぱちゃぱちゃ波がたってきた。この手の波はかわうそ号の大敵で、波をたたいてまったく進まなくなる。まもなくGPSの対地速度は3キロ台に。あとは、いつもの通り修行である。
 それで、ようようのことで久礼に入ったのは日没寸前。ところが、ここも天狗さんのテリトリーで、近森さんという方が河童を迎えてくれた。そこでフネの片付けも早々に「黒潮本陣」(余談だが、ここの露天風呂は海が一望できてすばらしい眺めである。ただ注意しないといけないのは露天風呂は海水風呂になっていて、すっかり皮膚が潮負けしている河童は、うっかり入って飛び上がった)というところで温泉につかり、ついで居酒屋で一杯、さらにスナックで一杯とすっかりいい気分になってしまった。

 それで、やや2日酔い気味の19日。次は土佐佐賀をめざした。この日も、昼ぐらいから吹き出した南風にあおられながら35キロ漕ぎ、上陸すると天狗さんがやってきた。そしてそのまま地元のヨット乗りの所へおじゃまし、カレーをごちそうになった後、またしても風呂に連れてってもらい、10時頃に佐賀に戻ってテントをはった。

 それでもって、問題の20日である。13日から、ほぼ毎日漕いでいて(高知での停滞は、1日走り回っていて休みにならなかった)体力的にかなり疲れていたのだが、天気もいいし気力も十分だったので出たのである。ここまで全然あてにならない天気予報は「のち南西の風がやや強く」という予報を出していた。土佐佐賀からの進行方向は南西である。もし風が本当に吹いてくれば、まともに向かい風を受けることになる。しかし、これまでの天気予報は、まあオオカミ少年みたいなものだったので、気にもせずに漕ぎだした。
 ところが、である。あたってほしくない予報とか予感というのは、なぜかあたってしまうもので、この日も昼過ぎからとつじょとして南風が吹いてきた。それまで1〜1.5キロぐらいの追い潮を受けて快調に進んでいたが、目的地だった窪津まで15キロで、大変な波がたってきた。潮と風がちょうど真向かいになってしまったので、波が立つわ立つわ。いきなり3メートルぐらいの波がつぎつぎに前にあらわれてきた。こんな波とぶつかっても、潮の流れというのは恐ろしいもので、かわうそ号の対地速度は4キロぐらい出ているのだ。だが、速度はともかく、フネのコントロールがきかなくなってきた。ときおり、白波がデッキを走っていく。これはかわうそ号基準を超えたと判断し、避難することにした。ところが、こう言うときに限って近くに港がない。南方向に5キロ、北方向に8キロの所にそれぞれ港があった。はじめは距離的に短い南の港に入ろうと進路をそのままで漕いでみたのだが、風があがってきて、とても風上に向かっては漕げなくなってしまった。そこで、北に進路を変えてみたのだが、今度は潮が逆になって、対地速度が稼げない。ようするに、どっちも逃げられなくなってしまったのだ。それでも、まだ風下に向かった方がマシだと、北に向けて漕いでいたのだ。しかし、対地速度3キロ。港に入るまで2時間かかる。波はすでに2〜3メートルになっていた。
 何とか楽ができないかと見ていると、釣りをしているらしいボートが目に入った。これ幸いと近づいて話しかけてみると、四万十から出てきたボートで、あと30分で帰るという。ついでに引っぱってもらう話をつけて、ほどなく引っぱってもらった。しかし、追い波の中、かわうそ号のような細いフネは波の斜面に乗って走っていってしまう。パドルで一生懸命に押さえるが、これもバランスを失ったらお終いである。かえって危険だと思い、すぐにロープを放してもらった。結局、自力でどこかに逃げ込むしかないのである。北に向かっても、南に向かっても同じぐらいのすすまなさ具合なので、少しでも進もうと南に向かうことにした。南に5キロ行って、少し西に向かえば布という港がある。そこへ向かうことにしたのだ。
 しかし、考えてみれば、南西の風が吹いているのに、南西に向かうというのは、手こぎでは至難の業である。この時、時間は2時半。いくらなんでも、日没までには間に合うだろうと思っていた。しかし、たった5キロに、なんと2時間半かかったのだ。この辺りの海岸は、全面磯になっていて、あちらこちらに岩が顔を出している。そこを慎重によけながら、やっと布にたどり着いたのは5時を少し回ったころだった。だが、こんなに苦労して入った布港のスロープは、ものすごい角度がついていて、とてもかわうそを引き上げられない。そこで、日没まであと1時間半を残して、隣の下ノ加江に向かった。向かったまではいいのだが、ここのなぜか灯台が2本立っている。どうも、新しい港と河口にできた古い港があるようで、どっちにはいればかわうそ号があげられるのかわからない。ともかく、近い方に入ってみようと、白灯台の港に入ってみたのだが、案の定スロープがない。こう言うときに限ってこんなもんだなあ、と嘆きながら、赤灯台に向かった。すでに時間は6時を回っている。
 さらに20分漕いで、赤灯台に入った。河口をさかのぼっていくと、港と造船所が見えた。造船所の前にはスロープがあった。もう、一も二もなくスロープにかわうそ号を引き上げ、座り込んだ。朝7時に出てから、11時間半漕いで、やっと逃げ込めた。避難開始から、実に6時間。もはや余力は残っていないのである。

 その後、親切な漁師のうちでお風呂を貸してもらい、ついでにご飯なんぞをごちそうになったのだが、ともかくこの日は疲れた。

 さて、そして昨日21日なのである。またしても、というか室戸岬から宿毛までは天狗さんのテリトリーなので、天狗さんのお友達の福井さんがサポートにあらわれ、足摺岬の偵察に出かけたのである。もう、この日は天気がどうでも、動けそうになかったので、どっちみち停滞を決めていた。
 そこで、足摺を陸から見たのであるが、まあまあ流れていること。ちょうど風が少し吹いていて、波のくずれ具合から流れの様子がわかったのであるが、沖はもとより、岸寄りまでしっかり流れている。ヨット乗りの感覚だと、岸よりは流れていないように見えるだろうが、手こぎの感覚だと、岸寄りでも十分に流れていた。これはちょっと難しい。もちろんシーカヤックでここを渡った人は何人もいるが、なにしろかわうそ号である。河童エンジンも、潮岬から始まる激闘の結果、定格をはるかに越える過大出力の連続で、焼き付き寸前なのだ。今の状態で、ここは行けないと判断した。かといって、待っている時間もない。実は、すでに予定より10日ほど遅れていて、このままでは、またしても北海道にたどりつけないのだ。

 そこで、さっさとポーテージを手配して、本日22日昼前に宿毛にかわうそを運んでしまった。ここで船台その他の荷物の到着を待ち、荷物がまとまり次第、フェリーで九州へ渡る予定である。
 なんだか、四国はいいことばかりだった。ここ宿毛でもまたいろいろおもしろいことになっているのだが、それはまた明日にでも書くのである。なにしろ、ここは電波が届くからね。

高知を出るときのテレビの取材。
美人クルーの出現でご機嫌の河童。
バカだね〜。
久礼でお世話になった近森さん。
今度はゆっくり飲みましょう。
これが黒潮本陣。
ここの露天風呂からの眺めはすばらしい。
もっとも、河童にはそんな余裕がなかった。
高知で取り忘れていた天狗さんとの写真。
この後、悲惨な事件が起きるが、それは
二人だけの秘密である。
急に荒れ出した海。
この後、まさか6時間も漕ぐことになろうとは…。
足摺を偵察に連れて行ってくれた福井さん。
ポーテージもお手伝い願った。
ちなみに、このジープは40年以上も前の
ビンテージものである。
シートベルトもヘッドレストもないが合法。
なにしろ、福井さんは現職警察官なのだ。
上から見た足摺岬。
写真ではわかりにくいが、流れてる流れてる。
灯台をバックに腕組みの河童。
この3秒後にポーテージを決めた。
ポーテージ中のかわうそ号。
後ろはもちろん四万十川。
おろしてひと漕ぎしたいところだが、
先を急ぐのだ。レンタカーだし(笑)。