四国についた

2003年4月8日

徳島県阿南市椿泊町

 なんだかんだと心配していた紀伊水道も、さいわい何事もなく(本船にひかれることもなく、潮に流されることもなく、という意味)渡りきって、徳島県阿南市椿泊町に着いております。いまは、この椿泊の造船所に居候させてもらって、固い壁と屋根に守られております。

 7日の朝6時半に、松永渡船の船頭に見送られて日ノ御碕を出港し、昼前には紀伊水道を越えて、四国側の伊島の近くまで来ておりました。そうなると欲がわいてくるもので、このまま一気に四国本土(?)、まで行ってやれと、予定の伊島を越えて漕いだものの、伊島を越えたあたりから、猛烈な南風が吹き出して、予定外の椿泊に入ってきてしまいました。造船所のスロープに引き上げて、テントをはらせてもらおうと思ったら、造船所の2階に泊まれといわれて、言われるとおりに泊めさせてもらいました。昨日の夜は、台風並みの南風が吹いて、造船所の2階の部屋も揺れるぐらいで、テントをはらなくて正解でした。間違いなく飛んでた。いやいや、四国は運が良さそうです。

 それで、今日は香川から4時間かけてY−14クラブ事務局の三谷さんが訪ねてきてくれました。ども、ありがとうございました。なんとなく、紀伊半島はまだ地元という感じがしてたんですが、四国となると、遠いという感じがして、こう言うときに知り合いに会えると心強い。

 さて、そんなわけでともかく四国に着きました。予定では、10漕ぎ日で四国を通過する予定ですが、天気次第でどれだけかかるかわかりません。更新はできるところでしますが、あてにならないので、毎日の詳細は掲示板をチェックしてください。

日ノ御碕の上から見た四国方面。
伊島もかすんで見えない。
日ノ御碕の上にあるアメリカ村資料館。
泊まっていた三尾というところは、カナダに
移民した人がたくさんいて、アメリカ村という
別名がある。
その資料館にいったのだが、そこにもやはり
イタチ科が…。
紀伊水道は本船が多かった。
目の前を数万トン級の本船が通っていく。
ここはすでに四国。
徳島県の伊島。
この後、ものすごい南風が吹き出して、
とんでもない目にあう。
河童を救ってくれた大西造船の社長。
助かりました。昨夜の風はテントでは無理。
2週間ぶりに布団で寝た。
寝袋だと、足が自由にならないので疲れが残る。
やはり布団がいい。
4時間かけて、香川から走ってきてくれた三谷さん。
いわずとしれたY−14クラブ事務局。
わざわざありがとうございました。