三重県鵜殿村→和歌山県串本町
南紀は桜が三分咲きである。
この季節になると、いつも思い出す光景がある。
もう何年前になるか、夜桜見物の光景である。
たしか4月のはじめであったと思う。とある桜で有名な公園で彼女と待ち合わせた。待ち合わせの時間に少し遅れてきた彼女は、並んで歩き出すと、少し後になり、少し先になり、転がるように私のまわりを動きながら、卒業したばかりの高校のこと、これから入る大学のことなどを私に話した。
私は、うんうんとうなずきながら、彼女の手を取るのだが、その度に彼女の白い手はするりと私の手のひらから逃げ出した。
空に舞うその手は、はらはらと落ちる桜の花びらと重なり、またはなれて、淡く私の脳裏に残ったままだ。
いま思えば、その夜桜は、これまで私の見たただ一度の本当の夜桜だった。
それから何年かすぎ、彼女はいなくなり、私は長い旅に出た。
桜は私の想いを知っているのだろうか。
今年も、また花が咲く。