愛知県の知名度

2002年11月5日

 東北地方まで旅をして、愛知県の知名度があまりに低いのにはおどろいた。かわうそ号のデッキにはちゃんと「愛知県蒲郡市」と書いてるにもかかわらず、何人かの人から、
「愛媛県から来たのか?」
といわれた。「愛知県」と「愛媛県」では、愛媛県の方がよほど難しいと思うのだが、なぜか東北の人は愛媛県の方が好きらしい。

 「蒲郡市」を「がまごおりし」と読むのは、もっと難しいと思うのだが、なぜか蒲郡市は知名度が高かった。
「ヤマハの工場があるよな」
「網のメーカーがあったよなあ」
このへんは、立ち寄ったところが漁港なので理解できる。
「おお、競艇のあるところだよな」
という人が数人いたが、これはギャンブラーであろう。

 しかし、愛知県の知名度は限りなく低い。
「愛知県ですよ」
といっても、愛知県がどこにあるのかわかってもらえない様子なので、しかたなく、
「名古屋ですよ」
というと、やっとわかってくれて、
「おお、遠いところから来たなあ」
という話になるのである。
 この傾向は関東地方、千葉県ですでに見られた。
 向こう側から日本を見てみれば、東京より西は(修学旅行でいく京都、奈良を除いて)ないと同じ事なので、こういう話もわからないではないが、それにしても愛知県の名前はあまりに知られていない。

 都道府県庁所在地と県名の関係は、明治維新の時に、幕府側についたか、明治政府側についたかで決まっている。明治政府は、戊辰戦争の恨みを忘れず、幕府側についたところには、県庁所在地と同じ県名を許さなかった。
 名古屋はというと、これはもちろん徳川御三家の一つ、尾張藩の城下町である。しかし、尾張藩というのは、御三家筆頭でありながら、ついに将軍を出すことのなかった、情けない藩なのである。
 明治維新のおりには、幕府側につくか、明治政府側につくか、最後まではっきりとせず、いざ幕府が滅亡してしまうと、大慌てで名古屋城の金シャチを明治政府に人質(?)として差し出したぐらいである。
 こんなところであるから、県名と県庁所在地の名前が同じになるわけなどなく、うかうかしているうちに愛知県などという県名がつけられてしまったのである。しかし、50年たとうが、100年たとうが、愛知県などという新参者の名前が売れるわけもなく、名古屋の方が、いろいろな意味でずっと有名なのである。困ったことに、愛知県内には、さらに有名な「TOYOTA」という市もあって、いうまでもなくこの名前は、世界中のどんな僻地に行っても知らない人はいない。

 さて、問題は愛知県のことである。愛知県の名前など、知っていようと、知らなかろうと、いっこうにかまわないのであるが、愛知県では2005年に万博をやるらしい。今ごろ万博など、発展途上国じゃあるまいし…と大半の県民は思っているのだが、愛知県はそう思ってないようで、新しく道路も鉄道(というか、ここでしか走らせられないHSST)も作って、ついでに中部国際空港も、第二東名も作ってしまって、愛知県内は工事だらけである。

 これだけでも大変だなぁと思っているのだが、帰ってきてから、この愛知万博の通称が「愛・地球博」なのだと知って、ひっくり返った。愛知県だけでも知名度が低いというのに、この上「愛・地球博」だと…。
 
 愛知県知事に、石原慎太郎か田中康夫をスカウトできないかと、秘かに計画を練っている。まったく、バカじゃないのか?