もう、これ以上…。

2002年10月22日

青森県西津軽郡岩崎木村

 7月頃から、かなり気にしてはいたのだが、予定がすっかり遅れてしまっている。北海道をパスして3ヶ月かせいでみたものの、それでさえ2ヶ月予定から遅れている。日本海は秋から冬になりかけていて、当然のように毎日荒れている。

 21日の天気が荒れることはわかっていた。携帯で気象協会のスポット予報を見ると、東の風が最大で8メートルと出ていた。これまでの河童からすれば、当然停滞を決め込む予報である。
 だが、そうもいっていられない理由は十分にあった。その後、低気圧が東海上に抜け、冬型の気圧配置になる。そうすれば北西の風が吹いて、またしても3〜4日は時化て停滞しなければならなかった。待てば待つだけ天候は悪化していく。
 それに、港とそこから見える範囲では風はほとんど吹いていなかった。そこで岸にはりつくようにこいで、少しでも南に進もうと思ったのだ。もちろん、危なくなったらどこでもいいから港に逃げ込むつもりである。ともかく、冬が来てしまうのだ。
 いつものように出航前に第2管区のオペレーションに電話をすると、
「今日、出られるんですか?」
と聞かれた。これまでも毎日保安庁に電話をかけて、航海の予定を告げているが、こう聞かれたのは初めてである。これまで保安庁は航海に関していっさい余分なことを言わなかった。しかし、この日ばかりは気象情報を提供しくれ、十分に気をつけてくれと言われた。

 防波堤をかわし、岸から50メートルほどのところをこいでいった。望みは、白神山地の高い山が、東風をさえぎってくれることだけである。
 しかし、20分後望みは絶たれた。
 わずか2.5キロ離れた大間越という港の直前、猛烈な東風が襲いかかってきた。あっという間に海面が白くなった。岸に手が届くようなところなのに、波の頭が風に吹かれて飛んでいく。かわうそ号はまったく進まなくなった。目の前に見える大間越の港に入ろうとするのだが、流されて逆に遠ざかっていく。GPSを見ると沖に流されている。
 やばい。
 このまま、むなしい抵抗を続けていると、大間越に入るどころか沖に流される。30分こいで、進路を北に変えた。元の黒崎漁港に戻るつもりだった。しかし、この30分の間に、ひどく沖に流されていることに気づいて愕然とした。大間越から黒崎は真北の方向にあるはずなのに、いまや北東の方向に見える。それだけかわうそ号が西に流されていたのだ。

 それでも、ともかく黒崎漁港に向かってこいだ。海面は、あいかわらず波頭がくずれて白くなっている。ときおり、くずれた波が真横からかわうそ号の上を走っていって、水ががばがばと入ってくる。ビルジポンプのスイッチを入れたいのだが、真横から波を受けているので、バランスを取るためにもパドルから手が離せない。
 しかし、こげどもこげども陸が近くならない。北東に進路を取っているのだが、GPSを見ると北にしか進んでいない。東向きにこいでいる分は、風で消えてしまっているのだ。

 1時間こいで、黒崎漁港の沖を通り過ぎた。もはやここに入ることは不可能だ。かろうじて北に進むことだけはできるようだったので、沖に流れないように北に進むことにした。北には岩崎と、その2キロ西には沢辺という港がある。岩崎を第一目標として、もしさらに東風に押されて流されたときには沢辺に入ろうと決めて、じりじりこぎ進んだ。
 しかし、風はなんといたずらなものか。岩崎まであと5キロというところまで進むと、今度は北風が吹き出した。しかも、はっきりとした北風である。今度は北に進めなくなった。やむなく、180度変針してまた黒崎漁港を目指すことにした。ここからは黒崎漁港も岩崎もほぼ同距離である。事態が事態だけに、どこでもいいから早く陸にたどり着きたかった。沖に流されれば、即遭難なのだ。
 だが、この気まぐれな風も5分でふたたび東に向きを変えた。ふたたび進路を北に戻した。

 そこからの2時間は悲壮であった。風と波は真横から襲いかかり、コクピットの中は水浸しになった。パドルを海面に入れると、石のように固まって動かない。それを必死になって支える指は、痛みを通り越してしびれてきた。ただ、遠くに見える白い灯台だけが希望であり、唯一の救われる道であった。
 そして、こげない、という言葉が脳裏に浮かんだ。これ以上、日本海はこげない。もう、ここは冬なのだ。

 最後の500メートルに30分かかって港にはいると、軽トラックが待っていた。近づいていくと、陸からかわうそ号を見ていたという漁師で、フネを引きあがるのを手伝ってくれた。雨と強風の中、テントを張り着替えをして、甘酒を飲んだ。体の節々が痛み、これまでにない疲れが寒さとともに体にしみこんできて、寝袋にくるまってもなお体のふるえは止まらなかった。それでも、しばらくうとうとしたようで、気がついたらテントの中は暗くなっていた。すっかり、打ちひしがれた気分で弟に電話をし、帰る、とだけ告げた。

 けっして日本一周の旅をやめるわけではないが、ひとまず名古屋に帰って今後の計画を立て直す。またすぐに太平洋側から出発するのか、それとも冬をやり過ごしてからにするかはわからない。ともかく、今の僕は日本海の天候にすっかりやられてしまって、パドルを持つ気力がなくなってしまった。

 少し休息を取らせてほしい。