鰺ヶ沢すもう桟敷に驚く

2002年10月16日

青森県西津軽郡鰺ヶ沢町

 驚いたことに、青森県のこんな離れた場所でも、日が暮れると名古屋の放送局のラジオがはっきりと聞こえる。今も流しっぱなしにしながらこれを書いているのだが、河童が10代のころの曲が流れてとても懐かしい。今の若い衆にはわからんだろうが、柏原芳恵とか中島みゆきとか、いい時代があったんだよ。もっとも、この頃河童が一番燃えていたのは、なんといっても谷山浩子というあたりに河童の趣味があらわれている。同好の志はぜひとも掲示板に書き込みをしていただきたい。名古屋でネットされていない、第2部の谷山浩子のオールナイトニッポンを必死に聞いていたのだ、オレは。

 さて、河童の深い思い入れはこれぐらいにして、今日は停滞だった。案の定、昨夜から雨が降り出し、朝もじゃんじゃん降っていた。一応目覚ましはかけておいたものの、テントをたたく雨の音ですっかりあきらめて寝ていたら、外から声がかかった。なんだと思ってジッパーをあげると、朝飯を食えといって漁師がおにぎりをくれた。まったく、どこへ行っても人情というのはつくづくありがたい。暖かいうちにさっそくいただいた。この辺りのおにぎりの中身は、やっぱりサケなのである。
 おなかが一杯になったので、その後もまた寝てしまった。11時頃、暑くて目を覚ましたら、すっかり雨は止んで太陽が出ていた。やはり、4日で130キロこいだのにくわえて、昨日の19キロ無駄こぎで、かなり疲労がきているようで、眠くて仕方がない。また寝ようかと思ったが、いくら何でもと思い少し出かけることにした。「取材」に行かなければならないのだ。

 とはいえ、海の駅「わんど」は港の目の前で、わざわざ自転車で行くまでもない距離にある。
 かなり大きな建物で、1階はおみやげ売り場やギャラリーになっていて、鰺ヶ沢町特産の水産物がたくさん並んでいた。しかし、1階はどうでもいいのであって、ここの目玉は2階の鰺ヶ沢相撲館なのである。ここ鰺ヶ沢町は、あの舞の海の出身地であり、この相撲館だってサブタイトルが「舞の海ふるさと桟敷」というのだ。
 さて、どんなんであろうかとクツを脱いで2階に上がっていくと、いきなりすだれのかかった入り口がある。両側に「鰺」という文字がついた提灯がぶら下がっていて、確かに相撲部屋風である。のれんをくぐって中にはいると、真ん中にどーんと土俵が作ってある。その周りの廊下に、舞の海の説明があって、いろいろな記念品がおいてある。なにしろこの町では、舞の海は「舞の海」ではなく「修平」なのであって、当然幼少期、というより生まれたときの写真から資料がそろっている。ビデオでは舞の海の取り組みが延々流れていて、これが結構おもしろい。やはり、舞の海という力士の取った相撲というのは、何が起きるかという期待があり、今見返してもなかなか楽しめるのだ。
 そこを過ぎて、5歩歩いて思わず立ち止まった。ガラスケースの中に、なにやら黒い固まりが入っている。なんじゃ、これは? 説明を読んで吹き出した。なんと、この黒い物体は、舞の海のマゲであった! そりゃ、引退のセレモニーで断髪式なんてのがあるぐらいだから、力士にとって重要なものなのかもしれないが、まさかこんなものが展示されているとは思わなかった。いやいや、これはすごい。

 このあと、洗濯物を干したまま風呂に入りに行ったのだが、風呂に入っている間に空が黒くなり、ついで雨が降ってきた。もう降らないと思い、こぎ服のジャージは2着とも外に出してあったので、当然濡れてしまった。明日たとえ天気が良く、風がよくても服が乾かなければ出られない。雨止め、風止めはともかく、今度は濡れ止めかーっ?

これが入り口なのだ。
ミニ土俵が作ってある。
このほかにも、鰺ヶ沢町では
駅前の神社にも土俵があった。
これがマゲである。
いや、なんというか、驚いた。