河童、海峡横断?

2002年10月9日

北海道函館市(?)

 天気がいい日は、大間から北海道がはっきりと見える。はっきり見えると、そこへ行ってみたくなるのが心理というもので、どうしても北海道へ行ってみたくなった。悪いことに、大間から、北海道の函館に行くフェリーが出ていて、所要時間1時間40分。往復2300円ちょっとで北海道に行くことができる。大間も、できればすぐに通り過ぎるつもりだったのだが、風は相変わらずびゅんびゅん吹いているし、せっかくだから行ってこようかと、朝のフェリーに乗ってしまったのである。

 函館について、まずガイドブックを買った。なにしろ午前8時50分に函館について、午後4時20分の便で帰らなくてはいけないので、時間がない。自転車は、折りたたんで客室に持ち込むのなら無料といわれて持っていったものの、地理がまったくわからない。地図がないと、道に迷っているうちに時間が来てしまう。
 そこで、通りがかったコンビニで地図のついたガイドブックを買い、まずは五稜郭に向かったのである。

 いうまでもないのだが、五稜郭は星の形をした城跡である。しかし、それは上から見た場合であって、下から、というか地面から見た場合、星の形であろうが月の形であろうが、見えるのはただの堀と石垣ぐらいなもので、何もおもしろくない。中に入ってみたが、城跡だけに、外側にぐるっと土手が作られていて、中からは何も見えない。これは上から見ないとおもしろくないなあと、五稜郭タワーにのぼってみようかと思ったが、入場料が630円と聞いて入る気をなくしてしまった。写真と同じ光景を見るためには、ちょっともったいない気がした。

 五稜郭を出たあと、すぐ近くにある函館市北洋資料館というところをのぞいてみた。ここはまあ、かつて盛んであった北洋漁業のことがいろいろ展示されているというところで、何より入場料100円というのが気に入った。入っていくと、いきなり入り口に大きなシロクマの剥製がおいてあって、なかなかいい雰囲気である。さらに先へ進むと、トドやらセイウチやらの剥製が飾ってあり、ガラス越しとはいえ、間近に見るこれらの迫力はたいしたものである。トドを見たら、絶対逃げようと思った。

 その後、朝市、赤煉瓦街を抜け、函館市北方民族資料館に向かった。バイダルカという革製のカヤックがおいてあると聞いて、これだけはぜひともみたいと思っていたのだ。入場料300円を払って入ると、ホールのガラスケースに入れられてバイダルカが展示されていた。3人乗りのフネで、長さが焼く6メートル40センチ。なんだ、かわうそ号とほぼ同じサイズではないか。妙に親近感を持ってしまいフネをながめたのだが、やっぱり2人以上でこぐんだなあ、この大きさのフネは。
 この資料館は、アイヌだけではなく、アリューシャン列島まで、北太平洋の広い範囲の民族資料が集められていて、大変興味深かった。

 民俗資料館を出たあと、すぐ向かいにある旧金森洋物店(市立函館博物館郷土資料館)に入った。ここも100円という入場料につられていったのであるが、入場料なりの展示物であった。

 少々、がっかりしながら赤煉瓦倉庫跡に戻り、中に入ってみたのだが、なんのことはない全部おみやげ屋になっていて、観光に来たのならいざ知らず、旅人の河童にとってはほとんど意味のないものだったので、さっさと出てきてしまった。

 ちょうど昼時になったので、函館名物という塩ラーメンを食べに行き、その近くにあった安い床屋で、仙台以来切ってなかった髪を切り、ひさびさにハンバーガーショップでゆっくりとコーヒーを飲んでから、帰りのフェリーに乗り込んだ。1日函館見学だったのだが、小かわうそ号(あの自転車をこう呼ぶことにした)で走るには、函館の町はでこぼこが多く、お尻の痛くなった函館であった。

 帰りの津軽海峡も風は強く、いつになったらあそこまで行けるのだろうと、沈む夕日にシルエットを映し出す竜飛岬を、ため息混じりにながめていた。

五稜郭。
これだけ見ても、なんだかわからない。
コ〜ンピュ〜タ〜白クマくん。
内田有紀の父親である。
赤煉瓦倉庫。
石畳はいいが、小かわうそ号では
走れない。
土方歳三最期の地。
ここで撃たれたんだそうだ。
函館山と市街地。
ここまで自転車で走ったのだ。
ちと、遠いんだよな。