一日中、砂浜を見ていた。

2002年9月22日

青森県六ヶ所村

 なんだかじわじわと北上している。21日、22日と2日で50キロほど進み、例の六ヶ所村尾鮫(おぶち)漁港についた。覚悟はしていたが、ずっと逆潮、逆風で、2日間の平均速度時速3.2キロ。21日は、朝6時から夕方5時まで11時間こいで、やっと三沢から尾鮫までの32キロをこぎきった。6時で暗くなるので、ほとんどぎりぎりの時間である。ここがこの辺では一番長く、ここから先はちょこちょこ港があるので、やはり3時ぐらいまでには入港したい。

 ちなみに、八戸から六ヶ所までは、ずっと砂浜が続いている。六ヶ所を越えても、しばらくは砂浜が続いていて、ずーっと風景がかわらない。海岸沿いには松林が見えるだけで、海からは何にも見えない。まったくこぎでのない海岸である。三沢漁港は、そんな松林の途中に、忽然とあらわれる港で、砂浜から防波堤をのばし、埋め立てをして強引に作ったようだ。港から陸を見て、何もないかと思ったが、自転車を組み立てて15分ほど走ると、コンビニもあったし、港のすぐそばの、松林の裏側(?)には温泉もあった。
 三沢漁港の隣は、やはり防波堤で囲った海水浴場が作られていて、なんともう彼岸だというのに泳いでいる人がいた。何考えてんだと思ってよく見たら白人で、どうやら三沢基地あたりのアメリカ人が泳ぎに来ているようだった。なるほど、それならやりそうだと、妙に納得したが、それでもやはり寒いような気はする。

 三沢から尾鮫も、ずっと砂浜で休むところがない。しかも、けっこうな向かい風が吹いてくれて、パドルが劣化ウランのように重かった。朝と昼と2食分、米を炊いてプラスチックのどんぶりに入れて持っていたのだが、食べる余裕がない。なにしろこぐのをやめると、とたんに風と潮に流されて1ノット(時速1.8キロ)で戻っていく。なんとかしてご飯が食べたいと思いながらこいでいくと、運良く定置網のブイをみつけた。こぎ寄って、これにもやいを取ってご飯を食べた。午後も2時を過ぎてまた定置網を見つけ、ここに止めて昼を食べた。三沢から尾鮫までで、見つけた網はこの2枚だけだったので、運がよいといえば運がよい。しかし、休めたのはこの2回だけで、あとは止めることなくパドルを動かしていた。

 これぐらい遅いのが続くと、自分のこぐのが遅くなったのかと思い出す。なにしろGPSは、0.1キロ単位でスピードが出るので、だんだんと自信がなくなってくるのだ。無風、平水状態で、かわうそ号に荷物を積み、河童ペースでこぐと時速5キロでる。なにしろ2人艇で、自転車、発電機などの大荷物を積んでいるので、普通でも遅いのはしかたがない。しかし、これが2日も3日も続けて3キロぐらいしか出ないと、なにかはりついているのではないかという気になってくる。このあたりの潮は、全体にのぺーっと流れていて、明確な潮目を作っていない。ようするに流れているのか、流れていないのか、さっぱり見分けがつかないのだ。
 そこで、わざわざむつ小川原港の防波堤の中を通って、他の影響がない状態でスピードを測ってみた。果たせるかな、ちゃんと5キロ出る。やはり逆潮でそうとう食われているのだ。
 ところで、むつ小田原港は入れないかと思っていたが、中は一部の岸壁をのぞいて入れるのだそうだ。ただし、スロープのあるところには、本当に何もないという話だった。もちろん、はじめから入る気はなかったので素通りしてきたが、さすが原子力施設、港だけはバカでかい。20キロ先から防波堤が見えていて、なかなか近づかないので頭に来たが、近くまで寄ってみて理由がわかった。テトラポットの大きさそのものが、普通の港のものよりはるかにでっかく、錯覚をおこしたのである。それにしても、東海村から福島第2、第1、女川と、原子力施設をずっと見てきたけど、どこも港がでかい。あらためて原子力は金が動くんだなあと実感した。

 尻屋崎まで、残り50キロである。

八戸港を出る時。
向こうがむつかぜ、手前がむつぎく。
三沢漁港。
港からは松林しか見えない。
松林を抜けると、畑が続いていた。
ところが、その畑の中をこいでいくと、
ちゃんとコンビニがあるではないか。
マックまではあと4キロだ。
(行かなかったけど)
三沢漁港にて夕食の風景。
なぜか突如写真を撮る気になった。
三沢ー尾鮫間にて。
朝飯の風景。
尾鮫漁港。
広いけど、漁船は少ない。
スロープはがらがらなので、適当に
引き上げて上にテントをはった。