かわうそ号修理完了。

2002年9月20日

青森県八戸市鮫町

 かわうそ号の修理は、完了した。すり切れた部分を切り取って、あらたに板を入れて、ついでにアルミ板をバウから5メートル(ほとんど後ろまで)はりつけてやった。本当はステンレス板じゃないとまずいけど、ステンレス板は手に入らなかったので、福井まで行ってドック入りした時に交換するつもりで、アルミ板を張ってしまった。とりあえずはこれでいいと思う。
 なにしろ、自分で作った船なので、どこがどうなっているのか全部わかっていて、実のところ全然深刻に考えていない。ああ、壊れたかぁ。じゃあ直そうかなぁ、ぐらいの感じでなのである。

 昨日はそうして一日フネを直していたのだが、当然見物人が集まる。ここ蕪島は、八戸の観光地らしくて、というより八戸市民は、ヒマがあったら蕪島に来るのではないかと思われるぐらい、ここは人がよく来る。そこでまたいろいろ話をしていたのだが、その中の1人の男性が、
「ところで、こういうの届け出とかしてるの?」
と聞く。
「ええ、海上保安庁のオペレーションに直通ですわ」
「ああ、そうなの。いや実は保安庁なんだけどさ」
「ええ!」
 聞けば、鮫の港に係留してある巡視艇の人であった。これ幸いにと、
「チャート(海図)見せてください」
とお願いすると、じゃあフネにおいでよ、ということになって、巡視艇「むつかぜ」にのこのこ出かけていった。ここで、津軽海峡の日本海側までのチャートを見せてもらって、しかりとメモをとらせてもらった。ついでに、津軽海峡の情報ももらった。いやー、しかし海上保安庁もかわった。オペレーションへ電話していても感じるのだが、プレジャーボートも含めた船舶の支援・保護に力を入れている感じがする。いやいや、ますます慎重に行かなければと思った。(こういうと、気軽に118に電話できないじゃないかと思うだろうが、オペレーションからは危ないと思ったら早めに118に電話してくださいといわれている)

 夕方、アルミ板も付けてしまって、ほぼ修理は完了した。そこで、お祝いに鮫浦漁協婦人部直営の「うみねこの家」へ行って(テントから10メートルしかはなれていない)ビールを飲んだ。めったに(自腹で)飲まないが、2日かかった修理が終わったので、やっぱりここは一息つきたい。ここには、仕事を終えた漁師が一杯飲みに来ていて、あれこれ話をしているうちに、じゃあ家に来て一杯飲め、という人が現れた。呼ばれれば、すぐ行ってしまうフットワークの軽さが河童の取り柄である。昨日は、そのままこの人についていき、まず自宅で1杯。その後、焼鳥屋で1杯としこたま飲ませてもらって10時過ぎにテントに帰ってきた。いや、第八藤丸の船長、ごちそうさまでした。

 それで、今日は出港準備に1日かかった。というのも、八戸はさすがに寒い。2日前、朝冷え込んでびっくりした。そこで、根本的に対策をたてることにしたのだ。これまで、下はウェットのパンツをはいて、足元はパドリングシューズをはいていたのだが、これだとどうしてもフネを降ろす時に濡れる。そして、こぎ出すと今度は蒸れる。何とかならないものかとずっと考えていたのだが、この寒さで本気で考える気になった。そこで釣具屋に行って、何かいいものはないかと探してみた。するとウェダーがあった。胸まである長い長靴である。といっても、ゴムは靴だけで、あとはナイロンの布になっている。これが在庫処分で3980円だったので、早速買ってきた。さらに、ホームセンターを回って、安いジャージを買ってきた。1着1480円である。これだけでは寒そうなので、防水型の上着も買い込んで、ほぼ防寒対策は整った。明日から、ジャージを着て、ウェダーをはき、上着を着てこぐつもりである。ウェダーなんかはいて、こけたらどうする気だと言うだろうが、今までにかわうそ号が転んだのは、一度だけである。それも無理無理おかしな港に入っていこうとした時で、こける確率は非常に低い。こけるより、寒さで死ぬ方が確率が高そうなので、こちらをとることにした。
 問題は、今日の八戸の最高気温が26度ということで、朝は寒いのに、昼間は暑いのである。途中で暑くなったら、どうするんだ? 目下、最大の問題である。

はがれた部分を切り取って、あらたに摩材を
はる。
摩材の上に、アルミの板をはった。
木よりはましなはずなんだが。
今日は少し余裕があったので、ちかくの
展望台に行って海を見てきた。
これが蕪島。
観光地らしい。
蕪島のふもとにあるのが、うみねこの家。
いろいろ世話になった。