宮守近郊観光巡り

2002年9月3日

岩手県下閉伊郡宮守村

 今日は朝から3時間かけて、この先の航海計画を立てていた。気象次第でスケジュールは立てられないにしても、港や岬の位置などを出しておかないといけない。10万分の1の道路地図を使っているのだが、必要なページを切り出し、入れそうな港(何しろ地図なので、港の情報がいいかげんにしか出ていないのだ)に印を付けて、さらにそれをパソコンの地図に移し、ウェイポイントを作ってデータをGPSに送り込むという作業をしないといけないのだ。けっこうめんどうくさい作業なのだが、せっかくGPSを持っていても、データが入っていないと意味がないので、こうした準備は欠かせない。とりあえず、青森までのデータを作っておいたが、これを使い切るまでに何日かかるかはなぞのままである。

 東北は、というか岩手県のこのあたりは、8月ほとんど太陽が出なかったらしい。ところが今ごろになって天気が良くなって、昨日も今日も昼過ぎは暑いぐらいになった。そこで、今日は涼しいところへ行こうという話になり、昼ごろから寺沢高原という、すぐ近くの高原に行くことになった。N盛邸からすると、ほとんど裏山感覚なのだが、車で走ること30分、標高約千メートルの寺沢高原についた。正確に言うと、寺沢山の標高は993.4メートルなのだが、この上に展望台がたててあって、展望台の頂上の高さがちょうど千メートルになっているのだ。まさに約千メートルの高原なのである。
 さすがに標高が高いだけあって、ここは涼しかった。展望台からは北上高地の山々が展望でき、眼下には牧草地が広がっていた。牛の放牧も行われているらしかったが、残念ながら遠すぎて、牛というよりは点にしか見えなかった。
 北上高地の山々は、柔らかな稜線を持っていて、どちらかといえば女性的な印象を受けた。

 その後、新花巻まで行くというので、またしてもくっついていき、ついでということで宮沢賢治記念館を見てきた。以前から寄りたいと思っていたところなのだが、どういうわけかタイミングが悪く、過去2回の花巻訪問で見に来られなかったところなのである。念願かなって、というべきなのだろうが、河童はそれほど宮沢賢治にはまっているわけでもないので、ああこんなもんか、という程度で見てきた。宮沢賢治は、はまっている人は病的にはまっていて、賢治の悪口を書こうものなら猛烈な反発を受けるので、あまり書きたくはないのだが、記念館の喫茶店の店員が、宮沢賢治のことを「賢治さん」と呼んでいたのは気になった。こういう人物は、すでに歴史になってしまっているのであるから、敬称抜きで話すべきなのではないだろうか。
 実は花巻では、もう一つ同じことで気になっているところがある。花巻の西に、高村光太郎が晩年を過ごした小屋があるのだが、ここの(こうるさい)館内放送でも、高村光太郎のことを「高村光太郎先生は…」と呼んでいた。地元の人の気合いは理解できるのだが、やはり博物館などでは、敬称抜きが正しい呼び方だと思うのだが。
 あ、でももし将来、「河童川太郎記念館」などというものが作られるようなことがあれば、私のことはぜひ「河童様」と呼んでいただきたい。もちろん「偉大なる河童様」とか「我々の父にして心の支え、宇宙の中心河童様」などというのも歓迎する。念のため。

 

寺沢高原の頂上付近。
遙か彼方の点が牛なのだ。
後ろの展望台の最上階が標高千メートル。
宮沢賢治記念館。
いろいろマニアックな仕掛けがしてあって
おもしろかった。問題はどこまでわかるか
なんだよな。
宮沢賢治記念館の隣にあるレストラン
「山猫軒」。
もちろん、客が食べられるのである。