河童のすみか

2002年8月27日

宮城県本吉郡唐桑町

 気仙沼の奥に、河童のすみかだったという岩があるというので、夢也さんに連れて行ってもらった。気仙沼の町から、川をさかのぼること10分、くだんの岩があった。まわりの風景とは少しはずれた巨岩が、三つに割れて重なっている。その下に、よどんだ水がたまっていた。
 今は道路を通すために、川の流れを変えてしまい、岩の下に残っていた池は、かつての川の跡らしい。河童的には水さえ流れていてくれれば、別荘ぐらいにはいいかなと思うような岩であるが、いかんせん水が流れていない。つくづく、道路で分断してしまったのが惜しい。

 そのあと、河童伝説を残す河童の石像を見てきたが、けしからんことに、この河童の像は手を合わせていて拝んでいるのかと思ったが、うしろの説明を読むと、なんとあやまっている姿らしい。どうも、ここに住んでいた河童は、馬を川に引きずり込もうとして失敗し、村人にあやまって許してもらったらしい。まったく、日本全国、昔の河童というのはいたずらをしては、あやまるという話ばかりでおもしろくない。そのいたずらというのも、馬を川に引っぱりこんだり、泳いでいる子供の足を引っぱったりと言う程度で、どうもぱっとしないのである。光るもの、とくに刃物が苦手で、鎌がおいてあっただけで逃げ出したりと、よほど臆病なのか、根っからの平和主義者なのかわからんのである。もちろん、現代の河童はいたずらもしないかわりに、あやまりもしないのであるが、昔の河童は情けないやつが多かったらしい。

 ちなみに、河童というものは、古い記録をたどっていくと、原型はすでに日本書紀にのっている。しかも、いろいろな伝説の中ではめずらしく、日本以外には河童はいなく、完全な日本オリジナルのものらしい。日本各地に河童のいろいろな話は残っているのだが、全国的にブレークしたのは、どうも江戸時代らしい。今残っている河童伝説は、ほとんどが江戸時代の話で、中世以前の河童については、まだ謎が多いのである。

 そんなわけで、気仙沼の河童のすみかを見に行ったのだが、いよいよ河童の本場、遠野をめざすのだ。北へ行くぞ!

 

指さしている先が河童のすみか。
河童のたっているところは、昔
川だったらしい。
こいつがあやまってんだよな。
簡単にあやまるな。
アメリカだったら生きていけないぞ!