遠い30キロ。

2002年8月25日

宮城県本吉郡唐桑町

 んーとに、あら河童の絵を入れたとたん、まさに大変な目にあってしまった。23日に志津川町の佐々木小屋を出て、夢也さんのところへ向かったものの、湾の出口にさしかかると、南風とうねりで湾から出ることもできず、さりとて戻ることもできなくなってしまい、結局、湾の向かい側の歌津町泊漁港に逃げ込むことになってしまった。ここにテントをはったものの、24日は雨と強風でまたしても出られず、いったい何のために出てきたのかさっぱりわからなくなってしまった。さいわい、歌津町の方は親切な人が多く、ご飯やら風呂やらお世話になってありがたかったものの、23,24日と2日間で進んだ距離は9キロということになってしまった。もう少し待つ、というのがいかに難しいか、ということだな。

 さて、それで今日6時、満を持して歌津町を出た。めざすは、先日から行くと言って、全然つかない夢也さんのお宅である。
 歌津崎を大回りして、進路を北に取った。天気予報では、南西の風のち北西の風となっていたので、南西の風のうちに距離をかせがないとめんどうなことになる。いつもの通り、はじめは軽い追い風の受けて、いいペースで進んでいた。そして、またしてもいつもの通り、すぐ向かい風が吹き出した。天気予報の「のち」というのは、いったい何時のことなのか正確に教えてもらいたいものなのだが、追い風にかわるときはいつも遅く、向かい風になるときはいつも早いのだ。しかし、どうせこんなことになるだろうと予想していたので、河童はめげずに進んでいくのである。まもなく、風は北西から、うねりは南東からという組み合わせになった。うねりと風波が逆になって、漕ぎにくいことこの上ない。しかも、天気予報では1.5メートルといっていた波の予報はどこへ行ってしまったのか、3メートルぐらいのうねりが連続してやってくるようになった。ま、いつものことなので、黙々と漕ぐだけである。
 ところで、先日から漕ぐときにCDをかけている。いつも漕ぐときはラジオをつけていたのだが、はっきりいってラジオがおもしろくない。関東、東北とラジオのつまらなさにはがっかりした。名古屋ならば東海ラジオの松原さんをはじめとして、宮地由起夫、CBCならつボイノリオ、ZipーFMならジェームスとパーソナリティがそれぞれに個性を発揮しておもしろいのに、関東のラジオはタレントだけは全国区なものの、内容は名古屋のラジオにまったく負けている。東北は単なる関東のコピーで、ラジオ局に何の個性もない。昔から名古屋のラジオを聞いているので、あれが普通だと思っていたのだが、とんでもなかった。名古屋はラジオのレベルが高いのである。
 それで、CDに切り替えて、今日は松任谷由実を流しながら漕いでいた。ユーミンである。ベスト版のようなものを聞いていたのであるが、少し、いやかなり選曲を間違えたようで、聞きながら身につまされるようになってきた。ことに、「よそゆき顔で」という曲は、リピートでかかるたびにだんだん鬱になっていってしまった。全曲リピートにしていたので、1時間に1度ぐらいしかかからないのだが、「今度の相手は堅い仕事と静かな夢を持ってるの…」などという歌詞を聴くにつけ、パドルが重くなっていく。

 5回ほど鬱になったところで、ようやく気仙沼湾にさしかかった。電話をすると、夢也さんが迎えに来てくれているという。しばらくして、夢也さんの乗ったボートが近づいてきた。曳航してもらったが、うねりが高くて大変であった。
 それでもなんとか湾の一番奥のプライベートスロープにかわうそ号を引き上げ、実に2週間かかって、志津川湾から30キロの唐桑町に到着したのである。いやはや、なんとも遠い30キロであった。一日で進む30キロも、2週間かかる30キロも、海にはあるのである。

夢也さんのプライベートスロープ。
湾の一番奥で、台風よりカツオ船の
引き波の方が強いらしい。
ひさびさにテントをはった。
そうすると雨が降る。