ライダー河童

2002年8月18日

宮城県志津川町

 横浜に帰っている佐々木さんに電話したところ、小屋にあるバイクを使っていいという。実は河童はバイクの免許を持っている。それも10代に取ったというのなら、なんとかくかっこいいのであるが、河童が免許を取ったのは25を過ぎた頃で、一緒に講習を受けた中では最年長であった。なんでこんなおっさんがバイクに乗る必要があるんだよ、という十代の密かな嘲笑を受けながら、それでも時間オーバー1時間のみで中免を取ったのであるから、このころの河童はまだまだ元気だったのである。
 しかしその後、半年ほどで車を買ってしまい、バイクに乗っていたのは、わずか半年ほどのことであった。もちろん、車を手に入れてしまえば、雨に濡れる、ホコリまみれになる、エアコンはきかないというバイクに乗ることなどなく、もう10年近くもバイクなんぞに乗っていない。いわゆる、ペーパーライダーなのである。
 しかし、町に行くにも足は必要で、こうなったらペーパーでも、リトマス紙でも、バイクに乗るしかないのである。

 小屋の中にはバイクが2台あった。250ccと200ccのバイクがあったのだが、どうも250ccの方は乗る自信がなかったので、200ccの方を小屋から引っ張り出した。ところが、こいつのエンジンがかからない。バッテリーがあがっているようなので、わざわざかわうそ号まで行って充電器を持ってきて充電してみたが同じことである。オフロードバイクなので、セルモーターなんかついていないのだ。しかたなく、小屋の中に入れたままの250ccの方をかけてみると、かすかにかかりそうな雰囲気がある。そこで、また苦労してこの250ccを引っぱり出し、何度かキックしてみた。およそ30分ほどもキックし続けると、ようやくエンジンがかかった。止めると二度とかからなくなると思ったので、エンジンを回したまま身支度を整え、バイクにまたがったのだ。
 しかし、エンジンはかかったものの、バイクは怖い状態だった。何より怖いのは、タイヤの空気が抜けている。空気が抜けていると、タイヤの踏ん張りがきかないので、カーブが曲がれないのだ。河童はこれが原因で、一度こけたことがあり(ちなみに河童がこけたのは、この1回きりだ)空気の入っていないタイヤがどれほど危険かは身をもって知っている。ともかく一番近くのガソリンスタンドまで、ひやひやで走っていった。

 さて、空気さえ入れてしまえば、こっちのものである。ともかく海の様子を見に行こうと、志津川湾の向こうまで行ってみることにした。台風の影響がどれぐらいなのか知りたかったのだ。ひさしぶりに乗るバイクにとまどいつつ、バイクを走らせるのだが、なにしろひさしぶりなものだから、怖くてスピードが出せない。後ろからばんばん追い抜かれてしまった。このあたりのドライバーは、はみ禁イエローラインでも、全然気にせずに抜いていくのである。こっちもなるべく左端を走るようにしているのだが、10年ぶりに乗るのだから思うように走らない。センターラインをキープするのが精一杯である。

 そんなふうに、おそるおそる走っていたのだが、何とか無事に志津川湾の北の端、歌津崎にたどり着いた。歌津崎のさらに先端は尾崎というらしく、尾崎神社という小さな神社があって、遊歩道と駐車場が整備されていた。海を見てみると、まだそれほどうねりが入ってきている様子はなく、漕ごうと思えば漕げるぐらいの感じであった。もっとも、台風が東に移動すれば、4メートル以上のうねりが入っていることは間違いないので、今あせって動けば、別の場所で停滞になることは必至である。ようするに、どこで停滞するかの問題になってくるので、なるべく条件のいいところで待つのが正解なのだ。

 偵察を終えた後、志津川の町によって、待望の肉を手に入れてきた。ついでに本屋によって文庫本を3冊買ってきた。手持ちの本を読み終えてしまって困っていたので、これで当分楽しめる。書くためには、その10倍読んでないと書けないのだ。明日も天気が良ければ、バイクで走り回ってみるつもりである。
 どうも河童の旅は、寄り道と道草が多いのである。

今朝の風景。
この後、曇ってきた。
エンジンをかける前に
汗だくになってしまった。
ガソリンスタンドでは、即座に
佐々木さんのバイクですよねと
聞かれた。この辺では有名人らしい。
そんなに荒れてない海。
でも、明日か明後日には大荒れのはず。
「I love you〜」
と歌ったのは言うまでもない。
誰に?
今はもう、誰もいない海〜。 
記念写真。
自分の写真を撮るのは、けっこう大変
なのだ。
志津川町市街。
病院はでかいのがある。