ついに福島県に到達、が…。

2002年7月22日

大津港→小名浜港滞在中

 かわうそ号はついに福島県に到達した。といっても、大津からホンの10数キロ、小名浜港に入っただけである。大津を出る時には、密かにもっと北の港を目指していたのだが、風がほとんど吹かず、セールがまったく役に立たなかった。毎日吹いていた南風が、河童が出航する時に限ってぴたりと止んだのである。しかたなく漕いだのだが、アウトリガーが抵抗になってちっとも前に進まず(あとで潮も逆潮だったと知った)夕方まで漕いで、やっと小名浜へ入港したのである。まったく、苦労したわりには実りの少ない1日だった。
 小名浜のスロープは、漁港の一番奥にあって、ウニとかアワビの潜りをやっている船だまりにある。幸い、漁師がいて(普通、夕方には漁師は港にいない)水と屋根のある寝床を貸してくれた。といっても、スロープの上に作ったトタン屋根にビニールシートをはっただけの小屋だけど、十分である。テントをはって、回収する手間がはぶける。
 それで一息ついて、すぐ前にあった食堂でラーメンとご飯を食べ、歩いて翌日の食料を買いに行ったのだが、これが遠い。自転車を出すのがめんどうだったので、歩いていったのだが、いけどもいけども店がない。ようやくたどり着いたコンビニもどきの店には、すでに米はなく、パンがさみしそうに並んでいるだけだった。まーったく、と思いつつパンだけ買って、とぼとぼ歩いて帰ってきた。
 
 ところが、港へ帰るとカヌーを見に来ていた人が食事に誘ってくれた。いやー、食べちゃったんですよといったのだが、2回目はどうですか、などといわれてあっさり2回目の夕食をとることに決めた。誘ってくれたのは岡山さんといい、この港の中にヨットをおいていて、海洋少年団の副理事などもなさっている方であった。あれやこれやヨットの話もおうかがいして、ついでにこの先の下見にまで連れて行ってくださった。河童は満腹で帰って、港のベンチで横になったのである。

 そして、今日である。朝、なぜかアラームが鳴らなかった。実は最近、深夜(夜9時以降)に電話をかけてくる人がいて、暴走族と同じぐらい人の安眠を妨害するので、昨夜はマナーモードにしておいた。知らなかったが、マナーモードのサイレントにしておくと、電話の呼び出し音だけでなく、アラームの音も止まってしまうらしい。車のエンジン音で目をさますと、4時を5分ほど回っていた。それはいいのだが、見るとまわりが真っ白である。また濃霧が発生して、視界が50メートルほどしかない。次々と漁師が集まってくるが、当然漁師も待機である。あれやこれや話をしていたのだが、霧はなかなかはれない。8時まで待って、漁師はとりあえずウニだけ捕ってくると出漁していった。漁師は磯の中だし、自分の庭の中であるから、多少視界が悪くても問題ないのである。
 問題のある河童は、結局10時まで待って出航をあきらめた。なんだよ、早いじゃないかと思うだろうが、10時からだと、次に入りたい港まで届かない。セーリングをエキストラに考えて、自分の漕ぐ速さを基本に、次の港までの距離を考えると、この時間が限界なのだ。一気に、北上をねらいたいところなんだが、なかなか進ませてもらえない。

 アウトリガーの話だが、何とか洋上で外す方法はないかと考えて、今日、浮き輪を買ってきた。洋上で風がなくなり、そのまま漕いでも日没までに港に入れそうになくなった場合、この浮き輪をふくらませてアウトリガーを外しに行く。どう考えても、外から外すしかない。かなり危険な気もするが、昨日のような事もあるので、いざとなったら外しに行くしかない。それとも、アウトリガーがついていればひっくり返る危険はほとんどないから、洋上で夜を明かすという方法もあるのだが、どちらがリスキーなのかはその時の判断になる。
 本当は、くまのプーさんの浮き輪が欲しかったんだが、高かったので580円の花模様の浮き輪にした。少し残念である。

見送りにきてくれた、山形さんと伊藤さん。
どうもお世話になりました。
例の港ガキの1人。
照れているので、捕まえている。
帽子が暑いので、傘にかえてみた。
これにサングラスかけてると、実用的なんだが
おかしい気もする。
まあ、誰も見ていないんだが。
夕方、ひいこらいいながらはいった小名浜港。
ここのスロープは山形さんに下見につれてきて
もらっていたので入れた。
じゃないと、とてもわからない位置にある。
今朝の様子。
9時を回ってはれてきたが、この程度。
出すにはぎりぎりの視界かな。
これぐらいだと判断に困るんだ。
ちなみに、昼になっても海上濃霧警報が
出ていたので、海上のどこかは霧だったんだと
思う。当たったらアウトね。