河童、また動けず

2002年7月14日

大津港滞在中

 一難去って、また一難というべきなんだろうが、台風7号が接近中である。今日は、「やや強い」という風の予報が出ていたので、果たしてどうかと思っているうちに南風が吹き出し、これはダメだと出航取りやめにした。ちなみにこの予報ははずれ、大津では「強い」南風が吹きまくり、午後には海上が真っ白になっていた。

 そこで、またしても山形さんのお世話になり、車で小名浜港へ行って下見をしてきたのだが、これがまた小さなスロープで、こてもここで台風をやり過ごすことはできないと判明。買い物にも不便と言うことがわかって、台風前に小名浜に行く気はなくなった。台風をやり過ごすには、いろいろな条件が必要で、固い壁と屋根が借りられるとか、安い民宿があるとか行った基本的事項の他に、部品が買えるホームセンターがあるとか、近いところにゴミを捨てられるコンビニがあるとか、ゆっくりコーヒーの飲めるハンバーガーショップ、もしくはファミリーレストランがあるとか、なかなかむずかしいのだ。今日見てきたところでは、小名浜よりも、大津の方がはるかに台風をやり過ごす条件がそろっているので、台風が行って、その影響がおさまるまで大津で過ごすつもりでいる。
 しかし、つい先日わずか30キロ離れた川尻で台風をやり過ごしたばっかりなのに、またしても台風とは。今年の天候がおかしいのはわかっているが、ちょっと多すぎである。もういらないので、断っておいて欲しい。

 今日は出航を取りやめたかわりに、例のセーリングかわうそに変身させてみた。案の定、部品が足りなかった。どうせこういう事になるんだ、と思いつつ、仮でセールをはって艤装をしてみた。これを作っていた時とは、やはりやりたい方式がかわってしまっているので、少し改造が必要である。問題はロープで、スペクトラという特殊な素材を使った、ほとんどのびないロープが、ここでは手に入らない。あるもので間に合わせるしかないのだが、マストを支えるロープに使いたいので、普通のロープでどれぐらい使えるか、やってみないとわからないのだ。

 あいかわらず神社巡りは続いていて、今日は大津の山の上にある佐波地祇神社に行ってきた。石造りの階段をとことこ上っていくのはいつもと同じことだが、さすがに漁師町だけあって奉納物がおおい。その中に、牛までいた。いや、もちろん石で作ってあったのだが、さすると幸運が訪れるということなので、十分になぜなぜして、ちゃんとのどの方までほれほれほれとやってきた。牛がのどをさわって欲しいのかどうか知らないが、どっちみち石だからいいのである。
 ところで、この神社では5年ごとに御船祭というのが行われて、木造の船が町中を回るそうである。これがけっこう大きな船で、しかも山車と違って車がついていない。聞いてみたところ、下に木を敷いて、みんなで引っぱるのだそうだ。かわうそ号を毎日引っぱっている身としては、一度見てみたいお祭りである。次回は平成16年だそうで、その時には見に来よう。

 ところで、今日は昼に山形さんに誘われて、ビールとスパゲティをごちそうになり、夕方、ハンバーガーショップでハンバーガーを一口食べたところへ、またしても山形さんからお誘いがあって、地元の人たちの集まりに招かれてしまった。アマンプリという、かなりしゃれた店で(たぶん)フレンチを食べてきた。あまりフレンチなど口にする機会がないので、何料理かは判別がつかないのであるが、大変おいしかった。ここでまたしてもすすめられるままに飲んでしまい、昼も夜も酔っぱらい河童になってしまった。今朝、例のN氏から電話があって、どこから聞いたのか、オレよりいいものを食っているらしいじゃないか、と言われたが、N氏の主食といえばビールなので、オレよりいいものといわれても非常に困るのである。

御船祭りに使う船。
けっこう派手なペインティングがほどこされている。
セーリングかわうそチェック中。
やっぱりなんか足りないんだよね。
灯籠とか、いろいろ寄贈物が多い。
本殿の横には、古くなったアンカーまであった。
牛。
誘われると、たいていの所へ行ってしまうのだ。
今夜の話題は、塩の道と蝦夷の話で、話は
坂上田村麻呂までさかのぼってしまうのだ。