どうにか秋田についたさ

  2004年3月14日

冬眠中

 ああもう、ごたごたしている間に時間が過ぎてしまった。この3月から、また教壇(?)に復帰したのだが、さすがに3年ほどブランクがあるので、なかなか調子がつかめないでいる。しかも、今度のところはネクタイ着用なのだが、ネクタイなんてもう10年ぐらいしめたことがなかったので、ますます調子がでない。慣れてしまえば、たいていのことはどうってことないもんなんだが、慣れるまでがちょっとややこしいな。なれて〜しまえば〜、なれたなら〜。と、これで元歌がわかった人は、中島みゆきの古いファンですな(笑)。
 でも、あいかわらず非常勤なんだけどね〜。

 それから、例の外人二人組みは、無事九州を北上しております。これは移動がはげしいので、河童談話室の方でやってますが、今日現在は佐世保で、九十九島シーカヤッククラブにて宴会中らしい。どうやら、このまま日本海側を東進するみたいなので、お近くの方はまたよろしく。英会話の勉強にはもってこいですよ(笑)。

 というわけで、旅の話は秋田から再会する。
 河童は秋田に着いたのである。というと、また話が飛ぶので、順番に説明する。
 本当のことを言うと、かわうそ号は松ヶ崎の港から出られなかった。なぜかというと2003年の夏は、完全に異常気象で、東北は毎日やませが吹き荒れていた。松ヶ崎に入って以来、ともかく毎日東風が吹き、どうやっても出せるような天気にならなかったのである。
 ところが、日頃の行いのよい河童には、神様がちゃんと助けを送ってくれた。河童が松ヶ崎で困っている間に、秋田のヨット乗り、ハックベリーさんに連絡が行って、ハックベリーさんが迎えに来てくれたのだ。もっとも、松ヶ崎は砂浜海岸の真ん中に、無理矢理作った港でヨットは入港できない。そこで、秋田マリーナからハックベリーさんが、かわうそ号は松ヶ崎港からそれぞれ出て、洋上でミートするということになった。
 そういうことで港を出たものの、出てから2時間で予報通り海上には東の風がびゅんびゅんに吹き、かわうそ号はまったく進めなくなってしまった。漕いでも漕いでも進めない状態で波にもまれ、ハックベリー号の到着を待っていた。ほどなくして、それらしいヨットが北から見えてきた。しかし、かわうそ号からはよく見えるのに、向こうからは全然見えないらしい。携帯で、何度の方向にいます、と伝えても、なかなか見つけてもらえない。仙台で、同じようにヨットに引っぱってもらった時もそうだったのだが、シーカヤックは他の船舶からまったく見えない。かわうそ号なんか、2メートルの高さに旗を立てていても、肉眼で見つけてもらったことなど一度もないのである。だから、シーカヤックには旗を立てろと、ヨット乗りでもある河童は思うのであるが、それはまたいずれ書こう
 さて、かわうそ号はハックベリー号の双眼鏡でなんとか見つけてもらい、もやいをとってもらった。もちろんのこと、河童はさっさとハックベリー号に乗り移り、ハックベリーさんとビールを酌み交わしたのである。そして、そのまま、無事秋田マリーナに入港することができた。

 ところがところが、入港してみるととんでもないことが発覚したのである。まったく、世間は狭いという話で。この話はまた次回に続く。今度は、一週間以内に書くからね。

続く

ハックベリーさんのハックベリー号に
引っぱられるかわうそ号。
そして秋田マリーナに着いたかわうそ号。
例の事件もあり、かなり弱っている。
河童も、かわうそも。
というわけで、テントやマットの塩出し。
環境の整ったところで、こまめにこういう
メンテをしないと、ありとあらゆるものが
痛んでいく。