河童につられてお伊勢参り

2004年2月3日

冬眠中

 冬眠に入ってしばらくした頃、いつも河童の居所を書いてくださっているもとわにさんから、イギリスからメールが来たと転送があった。イギリス人のカヤッカーが日本一周するので、情報が欲しいだとかなんだとかいう話だったらしいが、もとより英語のメールをそのまま転送されてしまって、読む気が全然なかった河童は、来るなら来い、と訳の分からない返答を返して放置してあった。なにしろ、敵は「鬼畜米英」である。生麦での無礼を許したわけではない。

 そうして知らん顔していたのであるが、突如、本当に来てしまったという連絡が入った。すでに渥美半島は赤羽根に来ているのでよろしく頼むと、これまたもとわにさんから、連絡が入った。なにしろ、英語が好きでない河童は、この件すべてをもとわにさんにまかせて、知らん顔していたので、ぜ〜んぜん把握してなかったのだ。
 しかし、連絡は来ちゃったし、このまま放置しておくと、今後の日英関係にも微妙な影響が出る。なにしろ、不平等条約の改正もしてもらいたいし、ロシアに対抗するには、イギリスとの関係を友好的に保っておかないと、今後の国際政治での影響力が下がりかねない。
 ということで、135度ほど西から来た連中に会いに行くことにした。しかし、これがまた微妙な位置なのだな。
 連絡が入った時の位置は、渥美半島の赤羽根というところだった。しかし、連絡は夜に入ってきて、すでに行動できず。問題は、翌日彼らがどう動くのかだった。とういのも、渥美半島を越すと、伊良湖水道を越えて鳥羽。愛知県から行くと、三河湾、伊勢湾をはさんで、東に行くか、西に行くか、おもいっきり別れるのである。しかも、翌日の天気予報は雨。停滞を見込んで、渥美半島に行くか、それとも伊良湖を越えることを見込んで鳥羽に行くか、運命の分かれ道なのである。
 ところが、いざ次の日になってみると、彼らは雨の中漕いでいた。サポートしている方から連絡が入って、霧のため伊良湖水道を越えた神島で待機しているとのこと。おいおい、本気かよ〜と思ったんだが、これで鳥羽行きが決定した。
 結局、あれこれ連絡した結果、翌2月3日朝7時に、彼らがたどり着いたらしい、鳥羽は小涌園のプライベートビーチに行くことにして、河童は早めに寝たのである。

 朝2時半に、タクシードライバーの父親が深夜勤から帰ってきた音で目覚め、そのまま家を出て鳥羽に向かった。鳥羽まで3時間のドライブである。最近、伊勢湾岸道路というのができて、三重県川越までわずか30分で行けるようになったが、その後が長く、おたんこなすナースからただで譲ってもらったダイハツ・ミラは、大型車が信号無視して突っ走る23号を、悲鳴を上げながら走っていった。

 さて、小涌園につくとまだ暗かった。しばらく待って、ビーチに降りていくと、はたして怪しげな二人組みがカヤックを前にごそごそしていた。
「おやよう、おいらが河童さんだよ〜ん」(と言ったつもり)
「おお、おめ〜が河童か。よく来たな」(と言われたつもり)
と話が始まった。以降の会話は、すべてセリフのあとに、
(と言ったつもり)
(と言われたらしい)
というのがついているとご理解いただきたい。
 今回、シーカヤックで日本一周しているのは、イギリス人のジェフと、イスラエル人のハダスである。ジェフはイギリスで、シーカヤックのインストラクターをしていて、シーズンオフの冬季に、日本を回ろうと思ってやってきたらしい。まったく、イギリス人は寒さを感じないのかね。河童は冬眠の時期だというのに。

 とりあえず、インターネットがしたいというので、インターネットカフェ(というか、漫画喫茶だけど)に行こうという話になった。ところが、フロントに行って聞いてみると、鳥羽にはそういうお店がないとのこと。20キロほど離れた伊勢市まで行かないと、ネットの使えるところはないらしい。
「おい、どうするよ? オレは時間あるから行ってもいいけど」
「うーむ、どうしたものか」
「まあさ、今日は風がすごいから、漕ぐのは無理だろう。それより、インターネットカフェに行ったあと、伊勢神宮を案内してやるよ。日本で最強の神様だぞ」
などとうまいことをいって、彼らを引っ張り出した。もちろん、伊勢神宮がエンペラーに関係していることなど、一言も口にしてない。

 1時間かけてネットの使える漫画喫茶を探し、モーニングサービスを食べながら、彼らはメールチェックをした。河童はこの間にパドルコーストの電話番号を調べ、電話をかけていた。ジェフの手袋を探すためなのである。
 小涌園のビーチで、握手しようとすると、ジェフが、
「こんなにマメができちまったぜ」
といって、手のひらを示した。そりゃ2週間もこいでくりゃ、マメぐらいできるさ、と思ったが、それにしても状態が良くない。
「なんだよ。手袋してるわりにはひどいな」
というと、ジェフは首を振って、
「いや、持ってないんだ」
なに! じゃあ、この男、三浦半島からここまで、手袋なしで来たのかよ?
「だからさ、スポーツ用品店があったら、手袋を買おうと思ってるんだ」
そういう問題じゃないだろうと、小1時間問い詰めたい気分だったが、英語で追求するのは面倒なので、それより手袋を探すことにしたのだ。鳥羽の近くで、カヤックと言ったらパドルコーストしか知らないので、ともかく電話してみた。すると、
「ウチはスクール中心で、物売りしてないんですよ…」
ありゃりゃ、それは残念。事前に聞いていれば、モンベルにでも話を持っていって頼んだのに。まったくしょうがない。こうなったら、本当にどこかのスポーツ用品店に行くしかない、と再びネットで調べていると、河童の携帯が鳴った。
「パドルコーストですけど、昔の在庫調べたら出てきたんで、これでよければ」
おお、これで助かった! ジェフのマメもなんとかなる。しかし、隣のブースでメールチェックするジェフをのぞいてみると、やつはキーボードを膝に乗せて、のんきにメールを書いていた。手袋も持たずに日本に来るとは、一体何を考えてんだ、こいつは…?

 というわけで、メールチェックの終わった二人の乗せ、車は再び悲鳴を上げながら、パドルコーストに向かった。なんといっても軽自動車に、大人3人が乗っている。そのうちジェフは特大サイズである。車も悲鳴を上げるわけだ。ひいひいいいながら、茶畑の中のパドルコーストに到着。もちろん、道中、河童が三重県の茶の生産と、日本茶について、とうとうと語ったのは言うまでもない。先生という人種は、知ってることは話さないと気が済まないのだ。
 幸いなことに、パドルコーストの在庫と、ジェフの手は同じサイズであった。格安で手袋をわけてもらい、紀伊半島の情報をいろいろ教えていただいた。潮岬に黒潮が接近していて、ここが最大の難所になりそうなので、いろいろと抜け道を教えてもらった。河童の意見としては、串本の東港から西港まで、陸で行くと600メートルしかないので、2人でカヤックをかついでポーテージするのがおすすめである。岬の先端が、島みたいになっていて、海から行くとものすごい遠回りになる(参考2003年3月31日)。前にも書いたが、昔の帆船時代、千葉の方へ出稼ぎに行く漁師は、まだ砂浜だったこの上を、コロを使ってフネを通したそうだから、ここをポーテージするのは、一種伝統的な方法なのである。

 さて、手袋も手に入ったし、次はいよいよ伊勢神宮である。
 伊勢神宮には外宮と内宮と、大きくわけて二つの神殿がある。参拝の順序としては、外宮→内宮というのが一般的である。ついでにいうと、外宮には「豊受大御神」(とようけのおおみかみ)という神が祀られていて、内宮には「天照坐皇大御神」(あまてらしますすめおおみかみ)が祀られている。もちろん神話の昔からの由来を持つ、日本最古の神社であることは言うまでもない。
 しかし、ここに来る前に一つ心配があった。なにしろ、ハダスはイスラエル人である。イスラエルと言えばドナリエラ。いや、ユダヤ教。外国人は、それでなくても宗教に厳密なのに、ましてやユダヤ人となると、これは相当に気をつけなければいけない。そこで、神宮に着く前に、おそるおそるハダスに聞いてみた。すると、あっさり、
「ああ、5年前に厳密な教徒をやめたから、今は大丈夫よ」
と言った。いや、こう言ったのかどうかは怪しいのだが、ともかく今は問題ないと聞いてほっとした。日本人は一部をのぞいて宗教にいいかげんなので気にしないが、世界的に見るとそんな民族そのものが珍しいのだ。

 そうこうするうちに、外宮についた。 ここからは、河童の本領発揮である。以前、お祓いを受ける時に、神社の参拝方法について、しっかり調べた。せっかく、遠いところから来た二人に、これを教えない手はない。
 まずは手水舎があるので、ここへ二人をひっぱった。
「神様に会いに行くためには、身を清めなければならない。我々にはkegareというものがくっついているというのがshintoの考え方だ。kegareというのは、キリスト教で言うところのsinのようなものである」
などと、すでにいいかげんな説明が全開である。そこで、手水の正しいやり方を二人に教えた。
「ふーむ、なかなかおもしろい儀式だな。ところで、なんで口を洗う時に、ひしゃくに直接口を付けてはいけないんだ?」
「決まっている。エイズ予防だ」

 身も清まった我々は、奥へ進み鳥居の下をくぐった。もちろん、ここでも正しい鳥居のくぐり方をレクチャーするのである。
「これはだな、神様へのゲートだ。ここをくぐっていくのだが、真ん中は神様が通るところなので、人間は通ってはいけない。人間はすみっこを通るのだ。さらに、ここを通る時には一度立ち止まって、お辞儀をするのがルールである。日本ではお辞儀は大切な儀式だからな」
 観光客がぞろぞろと鳥居の真ん中を通っていく横で、英語で説明しながらお手本を見せるのである。ハダスはおもしろがって、河童と並んで頭を下げているジェフの写真とぱしゃぱしゃ撮っていた。

 河童のありがたい教えによって、日本人観光客より、はるかに伝統的作法を守り抜いた我々は、やっと正宮の前についた。これからいよいよ神様にお願いをするのである。
「ここでのprayのしかただが、まずお金を投げる。なぜはじめにお金を投げるのかというと、これが非常に重要だからだ。日本では、大切はことははじめにすませることになっている。そこで、まず神様へのドネーションをしたあとに、自分のお願い事を頼む。お願いのしかたは、2回お辞儀をして、手を2回叩く。そして最後にもう1度お辞儀をする。この間に、神様に頼みたいことをイマジンするのだ。」
といって、見本を見せた。続いて、ジェフが神妙な顔をして、河童に続いた。

 こうして、外国人とはあるまじき、というより平均的日本人よりはるかに、正式な作法で神宮参りが終わったのである。もちろん、この後内宮に行き、ここでも同じように参拝してきた。
 ひさしぶりに行ったが、伊勢神宮は広い。けっこう疲れるのである。しかし、正式の神宮参拝は、これで終わらないのである。そう、赤福を食べなければ、けっして伊勢に行ったなどといえないのである。そこで、二人をさらに引っぱり、門前に並んでいるおかげ横町に連れていった。まあ、予想はしていたが、2人には、こちらの方が良かったみたいである。

 こうして、3人の長い1日は過ぎた。もちろん、この後、スーパーで買い物をし、補給して小涌園に戻ったことは言うまでもない。なにしろ、小涌園は町から一番遠くにあるホテルで、あそこから買い物に行くとなると、山を越え谷を抜け、1時間半歩かないとスーパーにたどりつかない。カヌーの旅は、なかなか大変なのである。

 しかし、手袋ぐらい用意して来いよ。この先もこんな感じだろうから、沿岸の皆さんよろしくね。情報は、入るごとに掲示板に書き込みます。

小涌園のプライベートビーチにて。
寒いぞ。
パドルコースト、吉角さんと。
いろいろと情報をいただいた。
ジェフが1人でかいので、後ろにいかせた。
足元を見ると、立ち位置が不自然。
で、伊勢神宮。
正しい手水の使い方教室。
こういうもの外人は好きだよね。
鳥居をバックに。
これは神宮の門前町。
お土産屋が並ぶ。
こっちの方が良かったみたい。
伊勢神宮と言ったら、やっぱり赤福を
食べないと。
これで、お伊勢参り完了である。