パソコン修理中の間のこと(4)

2004年1月4日

冬眠中

 根室で世話になった友人が、正月で戻ってきているとのことで、一緒に食事をしにいってきた。
 根室は、ご存じの通りポーテージでえらいめにあって、さらに地震と津波のセットでまたひどい目にあって、ついにこれ以上の進行をあきらめたところだ。これのおかげで、いくら日本”だいたい”一周とはいえ、だいたい過ぎるんじゃないか、という意見が出てきた。たしかに、北海道は5分の2しか漕いでないのは事実なのであるが、その奥には、ふかーいわけがある。

 北海道の漁港には、水道がない。

 詳しく説明すると、北海道の漁港には、屋外の水道がない。北海道以外の地域では、だいたい漁港のどこかしこに水道があって、勝手に、いや自主的に水を使わせてもらうことができるのだが、北海道ではそれは不可能である。はじめは、漁協の建物とかにあるんじゃないかと、ずいぶん探し回ったのだが、ついに見つからなかった。冬の間に凍ってしまうため、屋外には蛇口を設けてないらしい。だから、水が欲しければ、人に頼んで水をわけてもらうしか方法がない。しかも、中には、建物の中にさえ水道の来てない港もあって、こういうところでは工事現場やら民家から水をわけてもらっていた。最後の港になった珸瑶瑁(ごようまい)では、親切な漁師がわざわざ軽トラで、ポリタンク一杯分持ってきてくれたぐらいだ。
 まあ、何もない時ならば、頼んでわけてもらえばいいと思うんだが、地震に津波と、港に大変な被害が出た所で、これはできない。漁船などというのは、漁師の唯一と言ってもいい財産で、それが打ち上げられたり、流されたりしてしまったのだ。だまって、こそっと通過するのでも気が引けるのに、さらに水をわけてくれなどとはとてもいいだせない。
 こういう事情は、あの時にいちいち説明しなかったので、やけにあっさりあきらめたと思われる人もいるだろうが、現場ではいろいろな事が起こっていたのだ。あの地震、余震もかなりあったんだよ、マグニチュード6以上のヤツが。こんなん、余震という規模じゃないって…。

 さて、酒田に来たのはいいが、動けなくなってしまった。
 思えば、この頃から今年の冷夏傾向がはっきりと現れてきたのだ。酒田に入ったのが7月16日。通常であれば、この時期になれば太平洋高気圧が優勢となって、北のオホーツク高気圧を押し上げ始まる。そしてこの勢力争いの戦場となる梅雨前線が北上し、ついに消滅して夏がやってくるのだ。
 ところが、2003年は異常にオホーツク高気圧が強かった。7月も半ばを過ぎたというのに、いっこうに弱まる気配を見せない。それどころか、日によっては太平洋高気圧を押しのけて、梅雨前線を押し下げる始末である。ハルシオンの中で、これは今年も怪しいぞと思い出した。2002年は台風の異常に多い年で、これですっかり予定が狂った。2003年も、この調子で行くと夏の天気は良くならない。またまた予定が遅れそうなのである。

 3日待ち、4日待っていると、さすがにあきてくる。酒田には、スーパーもホームセンターもあるので、ぶらぶらしに行くところは結構あるのだが、そう毎日も行っていられない。なにより、進まないと日程が厳しくなってくる。なんとかならんだろうかと、ラジオの天気予報を聞くのだが、毎日東風がびゅんびゅん吹いていた。

 東北の東風、そう「やませ」である。

大雨の酒田港。
雨がやめば風が吹いた。
どうにもならない。