パソコン修理中(1)

2003年12月16日

冬眠中

 広末涼子もできちゃった婚か〜と感慨深い今日この頃です。河童が思うに、この子のピークは早稲田受かった頃だった。あのままおとなしく大学に行ってりゃ良かったものを、と思うんだけど。あれ以来、大学に行ってない云々でだんだん汚れが目立つようになって、ついにできちゃった婚かあ。この人、もう少し上手に振る舞えなかったんだろうか。そうしたら、そう悪いイメージも作らずに、何とかなったんじゃないかと思うんだが。若さ故の暴走だろうなあ。さて、離婚はいつだろう?

 夏にパソコンが壊れて、山形から小樽まで掲示板で現状報告をしていたところがある。冬眠状態で、書くこともないので、この間のことをシリーズで書いていこうと思う。しばらくは、これが続きます。

 パソコンが壊れた正確な港は、山形県鶴岡市の加茂という港で、ここで突然、起動しなくなった。アルバイトでパソコンの修理をしていた頃、
「なんでいきなりこわれるんだ!」
と言う客がいたが、もうすぐこわれますよ〜なんて警告するパソコンはない。河童のパソコンも例外ではなく、加茂で使おうとしたら、ウンともスンとも言わなくなってしまった。
 そこで、このシリーズは加茂から始まるのかというと、データの関係で加茂の一つ前の港、鼠ヶ関から始まるのである。

 鼠ヶ関の港というのは、地名で言うと山形県温海町鼠ヶ関ということになる。が、実は鼠ヶ関の集落というのは、山形県温海町と、新潟県山北町に別れている。集落のど真ん中に県境があって、北は山形県、南は新潟県というややこしい行政区分になっているのだ。

 なんでこんな事になってしまったのかというと、時は明治の始め、戊辰戦争、越後、現在の新潟を落とした官軍は、次の目的地、酒田にせまらんと北上を続けた。ところが、庄内藩の兵隊は、ここ鼠ヶ関に陣地を築き、徹底抗戦をはかった。せまり来る官軍は、鼠ヶ関の町の中程まで攻め込んだものの、陣地を守る庄内兵はガンとして動かず、官軍の進軍を許さない。
 結局、庄内藩そのものは、別のルートから責められ、あえなく陥落することになるのだが、鼠ヶ関においては激戦の末、集落の中程までしか官軍は進めなかった。結局、その後の廃藩置県等で、官軍の進出範囲までが新潟県に取られることになり、ここに現在の県境が出来上がるのである。恐ろしきは明治維新。鼠ヶ関には130年以上たっても、戊辰戦争の影響が残っているのである。

 河童はここで2〜3日停滞していたのであるが、なぜか温海町の町会議員と知り合うことになり、ついでに温海町長とも面識ができてしまった。
 先日、テレビを見ていたら、いきなり町長が花束を抱えて出てきたので驚いた。なんでも、温海町では、地元に来てくれる花嫁を募集しているらしい。その宣伝に、町長が率先して出ているそうな。町役場に、交流推進課という係が作ってあって、町民の嫁探しをしているらしい。興味のある独身女性はご覧あれ。

 そんなわけで、歴史的にも個人的にも、なかなかおもしろいところなのであるが、フネは進まず、今回の話はこれで終わるのである。

これが県境。
こんなところに県境をつくるな。
左の道ばたにたっているのが上の石碑。
本当に、集落のど真ん中なのである。
鼠ヶ関の港。
ヨットハーバーもあるんだけど、写ってない。
ここのスロープは道路工事にともなう
臨時のものらしい。
どこでもいいからあげてしまった。
かわうそ号に座っているのが町長。
この日は消防団の集まりがあったとかで
防災服を着ていた。
CMにはスーツで出てくる。
2番目の人が町会議員の富樫さん、
3番目が本間さん、
一番右が剣持さん。