拝啓 海上保安庁殿

2003年12月2日

冬眠中

 先週末は、Y−14クラブの総会で、御殿場まで行ってきた。なんども書いているが、Y−14クラブというのはヨット自作者の集まりで、河童最大の支援団体でもある。はじめの入院予定ではいけないはずであったのだが、退院が早まり、なんとか行けそうという事になり、ちょっと無理して出席してきた。とはいえ、無職生活も長く、そろそろ引き落としが危なくなっている今日この頃、なんとか安く行こうと、高速を使わずに一般道で片道250キロ走ってきた。結果は、推して知るべし。
 そろそろバイトでもしないとまずいのだが、傷口の具合もあるし、微妙なところ。ある日突然、ここにアクセスできなくなったら、ああ引き落としができなかったんだな、と思ってください。とほほ。

 さて、今日は海上保安庁のことです。このページをご覧の方は、すでにご存じの通り、河童は海上保安庁にずいぶん助けてもらいました。あるところでは巡視艇の隣にかわうそ号を置かせてもらい、あるところではカレーをもらい、あるところではチャート(海図)をもらい、いろいろなところでコーヒーをいただき、知らない町のインフォメーションももらい、大変感謝しております。本当に助かりました。

 それで今後、シーカヤックやヨットなんかで旅に出る人の参考になると思うので、河童がどんなふうに海上保安庁とおつきあいしていたのか書いておく。

 始めに、河童は地元の海上保安署に挨拶に行った。今度、蒲郡発でこんな事をしますんで、一つよろしく、というような感じだな。そうしたところ、航海計画書を持ってきてほしいと言われたので、あわてて航海計画書をでっち上げて持っていった。というのも、シーカヤックの旅なんて天候次第で、計画なんか立ててもムダだと思って、その時までおおざっぱな計画しかたててなかった。もちろん、内容たるやいいかげんなもので、5日漕いで2日調整日を入れて、地図で3〜40キロの間隔で適当な港を見つけ、それを目的地&出発地にするというおおざっぱなものだった。自分で作っていて、絶対このペースでは進めないと思ったので、表紙には太字で「天候によって常に変更の可能性があります」などと入れておいた。作った本人は、とりあえず出しとけ、ぐらいにしか思ってなかったのである。

 ところが、さすがである。この航海計画書は、行く先の海上保安署すべてに行き渡っていた。それを知らない河童は、伊豆の松崎で、今日も進めね〜とテントの中で寝ていて、第3管区のオペレーションからの電話でおこされた。予定では、そろそろこのへんに来ていると思ったので連絡しました、といわれて大恐縮。まさか海上保安庁が、かわうそ1匹のことを気にかけているとは思わなかった。結局、数度のやりとりのあと、出発する前に連絡して、入港したあとに連絡する、という事になり、10月に青森から帰る時まで、ずっと第3管区、第2管区のオペレーションに、直で航海予定を電話していた。もちろん、各海上保安署には本部から連絡が行っていたようで、何度か保安署の方がのぞきに来たりしていた。

 2003年は、同じように蒲郡に航海計画書を出していったのだが、今度はどういうわけか、各海上保安署のリレーになって、あちこちの海上保安署に、直接電話することになった。警備救難課というところが、河童のような航海関係の担当で、時々、海上保安署を訪ねていったのだが、ちゃんと「かわうそ号の動静について」というファイルが作られていて、いつどこを出て、どこについたとか、航海計画書と一緒にまとめられていて感心した。よく海上保安官がやってきて、写真を撮っていったのは、このためだったのかと、ファイルを見つけた時にわかった。今年は、本当に海上保安署の方と、直接話をしたおかげで、いろいろ保安庁のこともわかっておもしろかった。
 現場の保安官の本音としては、事故さえ起こさなきゃ、勝手にやってよ、ということらしい。というのは、いったん事故があると、救助するだけでなく、その後に膨大な報告書なり調書を作り、やれ海事審判だのなんだのと、ものすごく仕事が増えるそうで、それが面倒なんだそうな。気持ちはよくわかる。こちらとしても、朝夕に電話するだけなので、こんな安い保険はない。
 カナダの川では、やはり現地の警察に届けを出して、計画から遅れるとヘリで探してくれるという話があるが、日本の海上保安庁も、それと同じようなレベルでサポートしてくれるようになったのだ。

 海上保安庁に関しては、いろいろなことが言われているけど、河童に関してはこんな調子で、一度もうるさいことは言われなかったということは、ここに明記しておきたい。
 シーカヤッカーにしろ、ヨット乗りにしろ、たまには海上保安署を訪ねておくのもいいんじゃないかな。このへんの漁船とか海の様子を教えてくださいといけば、どこでもアドバイスはもらえるはず。運がいいと、海上保安庁のマークの入ったコーヒーカップが見られるかも知れない(笑。あれどこかで手に入りませんか?)
 最近は、保安官にもシーカヤック乗る人が出てきたそうだし、お互いの様子がわかるのはいいことだと思う。河童はいろいろ親切にされたおかげで、絶対事故は起こせないと思った。よく、様子を見に来た保安官に、
「これ以上の世話にならないようにしてます」
と笑っていたが、本当に、あれこれ世話になったりすると、そういう気になって、よけいに慎重になる。これは巧みな保安庁の安全策だと思ったりして(笑)。

 ともかく、各海上保安署の方、ありがとうございました。あらためてお礼申し上げます。

ここでカレーももらったのだ 巡視艇の横に浮かぶかわうそ号。
いろいろな人に、信じられんといわれた。
本当にこの方にはお世話になった。 留萌海上保安署のEさん。
一番始めに話に行った時の蒲郡保安署長。
すべてはこの人から始まったのである。
この他にも、保安庁の人と撮った写真は、山ほど
あるんだけど、まずいかも知れないので、出すのは
やめておきます。
そのうち、プリントして送りますので、ちょっとまっててください。