津波裏話

2003年10月21日

冬眠中

 昨日、ようやく津波のビデオをアップしたのだが、ノーカット編集なしで、なんで夜中までかかるんだと疑問を持った人も多いと思う。しかし、こちらにはそれなりに時間のかかる理由がたくさんある。
 半年ぶりに帰ってきて、自分用のハードディスクを取り付けて起動してみたら、ハードディスクから異音が聞こえて起動しない。うわ、ハードディスクが死んでしまったと、他のハードディスク(たくさん持ってるんだ)をつけて起動させ、自分のハードディスクをスレイブにして、まずは欲しいデータだけ生きている方に移し替えた。ところが、マスターのハードディスクを付け替えたものだが、これまで使っていたソフトが使えなくなってしまい、しょうがなく再インストールするハメになったのだ。まあ、これぐらいまではパソコンを使っているとよくある話なので、あきらめるのだが、問題はここから先である。再インストールしなければならない画像編集ソフトの箱は、仮住まいの部屋に、天井まで山と積まれた段ボールの一番下になっていた。ベッドを入れたせいで、すでに飽和状態になっている部屋の中、段ボールを一つ一つベッドの上に移し、ようやくにソフトを取り出した。そしてそのソフトを再インストールし、もう一度段ボールを積み上げて、やっと編集にかかったのである。しかし、大枚はたいて買ったわりにはほとんど使っていない編集ソフトの使い方なんぞ、たぶん枕崎の沖あたりでレッコしてしまったようで、マニュアル片手に編集して、すっかり時間を食ってしまった。さらに、このあとファイル形式を変換したのだが、3年前の、河童がまだ幸せな生活を営んでいた頃に組んだパソコンは、ペンティアムV866Mhzという骨董品。5分の動画の変換に、たっぷり20分かかった。ところが、こうしてできたファイルは、なんと60Mもあって、とてもネットにあげられる代物ではなかった。しかたなしに、もう一度画質を落としてやり直して、やっと6Mのファイルが出来上がったのである。たまらんぜ。

 今日は、5月になくなった、河童のヨット界での父親みたいな人の墓参りに行ってきた。この人には、河童が中学生の頃から山ほどお世話になったのだが、ちょうどゴールデンウィークの真ん中にお亡くなりになって、ちょどその頃、宮崎にいた河童は葬儀にも出られず、不義理なことをしてしまったのだ。帰ってきて、何はともあれお参りに、というわけで、この人の娘(といっても河童とは兄妹みたいなもんなんだが)を呼びだし、花を買い、お参りセットなる、ろうそくと線香とマッチの一式もコンビニで買って、墓参りをしてきた。しかし、二人ともちゃんとした墓参りの作法を知らないものだから、やれ線香の立て方はどうだの、ローソクを立てるところがないだのと、墓の前で右往左往し、まったくお前たちは…と墓の中から思われたに違いない。

 そういえばかわうそは、またしても岐阜羽島のG藤さんの自作小屋に入っている。どうもかわうそは、あの小屋で冬眠するのが好きらしいので、G藤さんには悪いが、小屋においてきた。一時は、「かわいがってください」と貼り紙をつけて、小樽港に置き去りにしようかと思ったのであるが、なんとか無事に帰ってきて、冬眠に入ることができた。良かった良かった。
 時間が前後するが、日曜日にはG藤さん主催で、河童おかえりパーティーを開いてもらい、河童はまたしてもビール漬けにされ、ホムペにも書けないウラ話をたっぷりしてきた。G藤さん、ごちそうさまでした。

 というわけで、当分あいさつ回りが続くわけだな。まだまだ、あいさつに行くところが山ほどある。う〜ん。

G藤さんの小屋で冬眠に入るかわうそ。
このあと、トラックの上に上げてしまった。
ハッチカバーはぼろぼろに。
テントものびのび。ボールもかなり曲がった。
さすがに2年の旅は長い。