帰ってきたかわうそ号

2003年10月17日

岐阜県羽島市

 と、タイトルを書いて思ったんだが、ここまで書いてる航海記ってあるんだっけ? 普通、航海記って旅の間だけで、帰ったあとの話まで書くものなのかねえ。たぶん、シーカヤックやってる人は、今後の参考になるということも含めて、前後のことというのは非常に気になると思うんだが、これを読んでいる人のほとんどが一般の人だし、これはアンチクライマックスなんじゃないかという疑問がある。
 しかし、航海があれだけハプニングに富んだものであったように、帰ってからもハプニングは続いているのである。まったく、これでは読者諸兄の思うつぼではないか。少しは予想を裏切って、波風立たずに過ごしたいものなんだが、神は河童とかわうそに、なおも過酷な運命を用意しているのである。

 ともかく帰ってきた河童であるが、菊池さんから車を借りてきたのである。といっても、菊池さんが神奈川に荷物があるとかで、かわうそを岐阜に連れてきたあと、この荷物を運ぶため、神奈川に行き、最終的に新潟からフェリーで小樽に返すという計画であった。しかし、荷物があまりに多いため、バンだけでは足らずに、ほかに安いトラックを手配し、河童の乗ってきたバンと2台で、荷物を運ぶという予定になった。
 ところが、菊池さんが羽田に来てみると、手配をしたはずのトラックが突如キャンセルになってしまった。しかたがないので、とりあえず荷物をバンに積めるだけ積んで、小樽に戻るということになった。河童はいらなくなってしまったので、予約していた新潟からの飛行機をキャンセルして、横浜から新幹線で帰るというふうに計画がかわったのだ。

 そこで、14日はY-14クラブの野口さんのところでごちそうになり、小屋に泊めてもらって、翌日1日荷物の積み込みをして、16日の朝、のぞみで名古屋に帰ってきたのである。時間はあるんだから、高速バスで帰るという手もあったんだが、もうなんだか移動に疲れてしまって、素直に普通の方法で帰ってきた。新横浜から名古屋まで、のぞみで1時間20分。はえ〜。

 かわうそ号の片づけは、今日、岐阜羽島のG藤さんの小屋に来て、やっと手をつけた。明後日の日曜、G藤さん主催するスキッフクラブのメンバーが集まるというので、日曜日までここ泊まりだな。挨拶回りとか、いろいろあるんだけど、ともかくフネを片づけないと何も始まらない。
 仕事探しは、さらにその後。また塾講師に戻るつもりだけど、だれか仕事あったらちょうだい。家庭教師もやるよ〜。とりあえず仕事見つけて、名古屋にアパート借りたい。

野口さんの隠れ小屋にて。
左は菊池さん、右が野口さん。