カムイ伝

2003年10月10日

日本海船上にて

 あわただしく小樽を発つことになり、お世話になった菊池さんへの挨拶もそこそこに、9日の朝、フェリーターミナルに向かった。乗船の受付をすませ、屋根のかわうそ号を点検していると、上天気の三浦さんが、わざわざ札幌から見送りに来てくれた。納沙布で遭遇した津波の話などしていると、ほどなくして乗船の時間となった。三浦さんと握手をかわし、フェリーに乗り込んだ。車を止め、デッキに出ると、岸壁で小さく見える三浦さんが手を振った。僕もデッキの上から手を振り返した。見送りに来てくれた人に、上から手を振るのは、この旅に出てから初めてだ。かわうそ号で見送られるときは、いつも僕が一番下にいた。

 10時になると、フェリーは港の中に大きな渦を作り、あっけなく岸壁を離れ、僕の北海道が終わりを告げた。
 フェリーは小樽港の灯台をかわし、進路を西にとった。左に積丹半島が見えた。1ヶ月ほど前、僕が漕いだ海岸線を、僕が漕いだのとは逆に、半島をたどっていく。。オタモイ、竜ヶ岬、シリバ岬と、まだ目の中に残っている風景が現れた。それはあまりに素早く通り過ぎ、次々に船の引き波の中に消えていった。僕はなんだかいたたまれない気分になり、デッキを離れ船の中へ入った。

 2等の客室は、ほとんどガラガラで、定員36名の部屋に、7人ほどしか人がいなかった。僕は、入り口に一番近い場所をとり、かわうそ号での航海中から、ずっと手回りの品を入れるのに使っていた特大のドライバックをそこへ置いた。窓にはカーテンがかかって、外の風景は見ることができなかった。僕はたたんであった毛布を床に広げ、体を横たえた。エンジンの振動が、かすかに僕の体を揺さぶった。

 北海道もお終いか。この次に北海道を訪ねるのはいつになるだろうか。
 そう思うと、やはりじっとしていられない気持ちになり、ふたたびデッキに戻った。
 左舷のデッキに出ると、すでにフェリーは積丹岬の前まで来ていた。逆光の中、岬が黒々とそびえ立っている。ここで逆潮に捕まり、抜け出すまで3時間、わずか1ノットというスピードで漕ぎ続けたところだ。フェリーは、その前を悠々と過ぎていく。
 右に目を移すと、神威岬が見えた。そして、その沖には、伝説をたたえそびえ立つ岩があった。
 ふいに目に熱いものが噴き出してきた。
 松前に着いてから、ここにたどり着くまでに、幾日かかったろう。やませが吹き、雨が降り、台風が来、どれくらいのものが僕の前に立ちはだかったか。それに耐え、かわし、じっと時を待って、ようやく神威岬にたどり着いたのだ。その時ですら岬は甘い顔を見せなかった。僕とかわうそ号は、旗をつけた竿が折れそうにしなる強風の中、一面を真っ白に染める波と戦いつつ、この伝説の岩をかわしたのだ。
 いま、僕はその場所を、漕ぎもせずに通り過ぎていく。

 手すりにもたれた僕の後ろを、家族旅行の子供が走っていった。僕は霞の中に岬が消えてしまうまで、身じろぎもせずにじっと海の向こうを見つめていた。