伝えなければならないこと

2003年10月6日

北海道小樽市

 河童は、帰ったらまた塾の講師に戻るつもりでいる。この旅で、自分がこれまで教えてきたことが本当であるか、この目で確かめてきたので、今までよりも自信を持って話をすることができる。しかし、呼んでもらえれば、どこでも出かけていって、子供たちの前で話をするつもりである。

 なぜかというと、子供たちにもっと生きることの楽しさを伝えなければならないと思うからだ。この旅の途中、ラジオのニュースが報じていたのであるが、いろいろな国の小学生にアンケートをとったら、この国の将来は明るい、という質問に、日本の子供が一番否定的であったという。バブル崩壊以来、不況だ不況だと大人たちがわめき続けてきた影響が、子供たちにまで出てきてしまっているのである。いくらでも進路の選びようがある子供たちの将来が明るくないなんて、そんなバカな話があるか。だから、私は子供たちに、生きていくことはむちゃくちゃ楽しいぞ。生きていくとおもしろいことがいっぱいあるぞ、と話をしなければならないと思っている。

 ついでに、そのなかで、夢のかなえ方を話すつもりだ。夢を持つということは、明るい将来のためにも大切なことだが、夢を夢として持っているだけでは、永久にかなわない。夢を、現実の計画に作り直し、それを実行するためにどうすればよいのか。夢を夢として語るのは簡単なのだが、それを実現するとなると、実にさまざまな手がかかるのである。ついでに、そうとう頭を使わないとうまくいかない。知識と情報と知恵がなければ、計画なんかたてられっこない。やっと計画が進んだと思うと、さまざまなハプニングが待ちかまえていて、予定変更は常にあるし、その度に何パターンもシミュレーションし考えないと、対応できないのだ。だからちゃんと勉強しなさいと、最後に付け加えるから、学校関係者の方、よろしくね(笑)。

 冗談はさておき、本当にねえ、話してやりたいことがたくさんあるよ。この国の将来なんて大げさなことじゃなくていいから、自分の将来ぐらい明るいと思わないと、やってられないでしょ。世の中には、おもしろいことがたくさん転がっているさ。そこにたどり着くだけの努力をすればね。

 小樽は、とりあえず待機、と言うことになっている。トラックが見つからないのもあるのだが、なにやらいろいろな話が出てきて、もう2.3日待っていよう、ということなのだ。どう展開するのか、河童にもわからないのだが、どっちみち動けないので、毎日ウイングベイ小樽というバカでかいショッピングモールのなかをブラブラして過ごしている。残りの資金も底をつきつつあるので、買い物は何もせず、ひたすら本屋で立ち読みをしているのだが。しかし、小樽はいいかげん寒くなってきて、冬物を持っていない河童にはかなりつらくなってきた。さっきヘリーハンセンの店で、中綿のジャケットが4200円になっていて、寒さのあまり買い込んでしまった。

 ところで、航海計画の方だが、今年のところは、これでお終い、と言うことにしようかと思う。もう、日本海側は荒れてくる。
 北海道の残りは、不可抗力ということであきらめる。問題は、北陸の500キロ(ポーテージすればもっと短い)なのだが、これは来年の夏、休みを使って漕ぐことにする。これぐらいはいつもの調子で、しらんふりしてしまってもいいのだが、例の女からの一言(海道をゆく2 2003年7月1日参照)があるので、うかつに飛ばせない。あやつの性格からして、ここをしらんふりして、日本「約」一周終わった〜などと言えば、この先、ことあるごとにまた嫌みが届くに違いない。したがって、この攻撃をかわすためにも、北陸だけは漕いでしまわないと終われないのだ。旅の終わりが、また1シーズン延びるが、残りは夏休みを使えば漕げる距離なので、仕事に復帰しながらでも大丈夫だろう。

 ちなみに計算したところ、第2レグ漕いだところが約3000キロ。ポーテージは足摺岬78キロ。唐津15キロ。男鹿半島が130キロぐらいか。漕いでいないところの合計がだいたい1400キロちょっとある。このうち来年漕ぐ予定が500キロぐらい。昨年と合わせて、これまでの総漕距離が4300キロというところだな。

 しかし、北海道は寒い。

小樽港にいたロシア船。
車が山盛り。
北朝鮮の船は自転車が山盛りだったが、
これはまだロシアの方が燃料事情がいいってこと。
手前にあるのは、スタッドレスタイヤ。