留萌の人

2003年9月4日

北海道留萌市

 夕方の予報では「西または北西の風が昼過ぎまでやや強く、その後北の風」となっていたのに、夜中の2時に目を覚ますと、東の風が弱く吹いていた。なんだ、出られるじゃないかと、もう一眠りして3時半に起きると、予報通り西の風がやや強く(7〜8メートル)吹いていた。2時の無風は低気圧の通過だったらしい。おかげで出られないので、朝の6時からホムペを書いているのである。

 9月1日
 あ〜あ、9月だなあと思いながら小樽を出発した。北海道に上陸したのが8月のはじめ。まさか小樽まで一月もかかるとは夢にも思わなかった。気を取り直して、小樽を出たのであるが、出てから1時間もたたないうちに、またしても北東の風が吹き出して、弱いとはいえ逆風の中を漕ぐことになったのである。この日は石狩湾をまっすぐ横切って、厚田というといころまで行く予定で、行ってしまうか戻るかしか選択肢がない。もちろん行ってしまうしかないのであって、40キロ必死に漕いだ。北海道は日没が早くなっていて、6時に日が落ちる。努力の結果、無事6時に入ることができた。その後、水を探して港をうろつくのだが、北海道の港は、凍ってしまうせいか外に水道がない。歩いていたおばさんに頼むと、水産加工の工場に連れて行かれ、水をわけてくれた。ついでにあれこれ話をしていると、ちょっとまってな、と言われ、これ持っていきな、とタコをくれた。タコ、といっても、北海道サイズのタコで、頭だけで1キロはある。うわっと思ったのだが、せっかくの好意なので受け取った。むろん、あとで食べるのに苦労したのは言うまでもない。

9月2日
 ともかく日の出と同時に出港しようと、起床時間を30分早め、3時半に起きて真っ暗の中、出港準備をする。雄冬というところまで40キロ、珍しく風も追い風で、潮も追い潮で流れている。快調に飛ばしていくが、雄冬岬を越えてからペースが落ちた。昨日の疲れが残っているようで、ほんの5キロがなかなか進まない。もう5キロ漕ぐと、温泉付きの港があり、余裕があればそこまで行こうと思っていたが、時間の余裕は十分あったが、腕の余裕がなかった。雄冬の集落は、まあ静かな集落で、道沿いに吹き出し井戸があって、そこがキャンプ場になっていた。
 ところが、この静かな集落で、かわうそ号はカラスにおそわれてしまった。水をもらいに行って戻ると、かわうそのまわりにカラスが群れている。コクピットの中に、小樽で仕入れたパンを入れておいたのだが、しっかりカラスにつつかれてしまった。上にライフジャケットをかけておいたのだが、無力であった。このおかげで、翌日の朝と昼飯がなくなってしまった。カラスめ!

9月3日
 ビスケットをかじりないがら出港。パンはまだ腹にたまるが、ビスケットは腹にたまらないので、いくら食べても空腹感がある。目的地の留萌は町なので、着けば何でもあると信じて一生懸命漕いだ。基本的に村というところには酒屋ぐらいしかなく、町レベルになると、小さいながらスーパーがあり、市になるとコンビニ、風呂屋があるというのが、河童の経験である。もっとも、北海道にはセイコーマートという、コンビニとスーパーの中間のようなチェーン店があって、これが意外なところに展開しているので油断ならないのであるが。
 さて、それで小樽以来の風呂に期待を込めつつ1時に防波堤をまわった。ところが、中に入ってきてもスロープらしいところがない。というより、漁船がほとんどいない。ようやく漁船を見つけて、そこにいた漁師に聞くと、一番奥まで入っていって、川の横にある、といわれた。そこでそこまで漕いでいくと、小さな斜路がぽつんとあった。あそこか〜と思っていると、岸壁を車が追いかけてきて、さっきの漁師が顔を出し、そこへあげればいいから、とわざわざ教えにきてくれた。ついでなので、水はありますか、と聞くと、少し考え、市場へ取りに来い、といわれた。斜路から市場まではけっこう距離がありそうなので、一応わかった、と答えておいて、どっかほかでもらおうと考えつつ、スロープにフネを引き上げた。はたせるかな、市場までいかなくても、200メートルほどはなれた「留萌市漁船員休憩所」で水はもらえた。ところが、ここで水をもらって、ひいひい言いながら(重たいんだよ)フネに戻ってくると、さっきの漁師がふたたび現れ、水持ってきたぞ、といってタンク一杯の水をくれた。いや、ご親切に、とほかのバケツに入れてもらったが、なんとも留萌の人は親切である。
 そこで、着替えて、さて風呂に、と自転車を組み立てたところで、そういえば入港報告してないや、と思いだした。知ってのとおり、出港時と入港時に保安庁に電話をかけて、かわうそ号の動向を連絡している。別に強制されているわけでもないし、義務もないのだが、朝夕の電話一本で、日本最強の保険がかけられると思えば安いものである。ちなみに、あちこちの保安部で見かけたが、ちゃんと「かわうそ号の動静」というファイルが作られていて、各海上保安署で引き継がれ、報告がなされているのは、さすがである。この日も、朝、小樽海上保安部に電話を入れたのだが、留萌に入ったら管轄が留萌なので、そちらの方に電話してください、と言われたのである。そこで、留萌の海上保安部に電話して、かわうそですが留萌港に入りました、と報告しておいた。
 ところが、その後、河童がコンビニの前でおにぎりを食べていると、留萌海上保安部から電話がかかってきた。
「いや〜、おひさしぶりで。Eです。やっときましたね。お待ちしておりましたよ」
ん、だれだっけ?と思い出すことしばし。海上保安庁でEさん…?
「もしかして、蒲郡海上保安署におられたEさんですか?」
とお訪ねしてみると、まさにそのEさんであった。いや、おなつかしい。何を隠そう、2年前、はじめて航海の話を相談しにいったのが、当時蒲郡海上保安署の署長だったEさんなのだ。この方が、
「いや〜、いい話ですなあ。ぜひとも航海計画書を出してください。全国の海上保安署に回しておきますから」
といわれ、今に至っているのである。この直後、Eさんは転勤なされ、その後お会いする機会がなかったのだが、まさかここでお会いしようとは。今から行きます、といわれ、あわててフネに戻ったのは言うまでもない。 
 ここで断っておくが、Eさんは、けっして私事で河童のところにきたのではない。かわうそ号という、なにやらあやしい船舶が留萌港に入港したという報告を受けて、その実情を調査し、また今後の予定について諮問し、さらに安全航海について指導しに、わざわざ訪れたのである。したがって、ちゃんと「海難0へのチェックポイント(プレジャーボート編)」と「留萌市へようこそ」というロシア語併記のパンフレットを河童に渡し、その証拠写真も撮ったのである。ついでに防犯のアドバイスも受け、さらにその場で警察に電話して巡回の強化をお願いしてくれた。もちろん気象情報も教えていただいたのである。うーむ、留萌もいいところだ。

 とはいえ、今日は風が強くて出られない。早くしないと冬が来てしまうのである。すでに初雪の便りも届いているし、北海道の秋は急速に深まるのである。ま、またポーテージすればいい話なんだけどね。わはは、お気楽日本”約”一周。北海道も、楽しいぞ〜!

9月1日
菊池さんと記念撮影。
北海道のヒトデはでかいと言われて
撮った写真。
厚田でもらったタコ。
タコもでかい。
どこの村だったか忘れた。
いつもの河童。
朝、暗いうちから出港準備。
昼間が短くなっている。
留萌でEさんと記念撮影。
北海道に渡ってから、いろいろな
報告がEさんの元に集まっていたらしい。
留萌の市街地。
北海道的な町なのである。