2003年 北海道5分の2周編
実はこのフネは、津軽海峡を泳いで渡る人の サポート船だった。泳いで渡る人いれば、 カヌーでもイヤだという河童あり、人生は色々だ。 左から2番目の人がチャレンジャー。 |
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翌朝、出発するのを見送りに行った。 惜しくも本州到達はできなかったらしいが、 それでも30数キロ泳ぎ続けたそうだ。 すごい人もいるもんだねえ…。 |
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風が強くなってきて、一時待機。 2003年の北日本は東風が吹きまくった。 |
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水はきれい。 ぐるっと回ってわかったが、水の透明度と人口密度は 単純に比例する。東京湾、三河湾、大阪湾が きれいになるわけがない。 |
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強風をついて入港した江差。 実は鴎島という島の向こうが漁港なのだが、 風でこの島をこえられず、手前のマリーナに入った。 結果的には正解だったが、かなり迷った。 台風が来ていて長期滞在になりそうだったからだ。 結果的にはここにはいって正解だった。 ありがとね、ひげさん。 |
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江差は、ニシンで栄えた町。 というわけで、にしんそばを食す。 |
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江差を出たあと、またしてもやませにやられ、 どうにも進めなくなる。 ともかく風がやむのを待つのだが、ヒマだ。 |
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積丹半島の北端、神威岬。 大荒れの中、強行突破する。 この岬さえかわしてしまえば、向こう側はべた。 条件的にはぎりぎりの海況。 入港も日没寸前という条件だった。 ただ、この日しかここを越える時はなかった。 |
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小樽から菊地さんのフネが迎えに来てくれた。 神威岬を越えるまでに、さんざんな目にあった河童は すっかり喜んで引っぱってもらう。 |
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菊地さんのロフトに居候。 結局、帰りもここに居候してしまって、菊地さんには 大変お世話になった。 道南でかなり疲れてしまった影響が大きかった。 |
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上天気さんの案内で札幌見物。 ジンギスカンとビールをいただいて、すっかりいい気分。 本当に、あっちこっちでいろんな人に世話になった。 河童は運がいいのさ。 |
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北海道のあちこちでこれを見たが、いまだに なんのためにあるのかわからない。 なにこれ? 追記 これは「覆道」というものらしい。 地吹雪の時にここに隠れるそうな。 なみぽん@道産子さん情報。 |
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ノシャップ岬。 宗谷岬のちょい西にある。 ここを回り込んだところが稚内。 ここの手前は浅くて要注意。 って、だれもいかないって、ここまで。 |
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稚内の有名な防波堤。 上に登れるのかと思ったら立入禁止だった。 下は、ライダーがたくさんテントを張っていた。 |
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宗谷岬。 九州最南端の佐多岬から、途中少し飛ばしたけど、 良くここまできたなあと、はじめて思った。 思ったとたん、気が抜けて、オホーツク海ポーテージを 決めた。 ここを越えた直後、一気に風が上がって、身動きが とれなくなった。この岬のすぐ向こうに港があって、 そこが北限となった。 |
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本当は通り過ぎる予定だった宗谷岬なんだが、 動けなくなってしまったので記念撮影におもむいた。 ちょっと、ワッキーを意識した今日この頃。 |
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宗谷岬の上に昇る。 何もない。本当に何もない。 さすがに(現在行くことのできる)最北の地だと思った。 |
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水揚げされるタコ。 よくスーパーで売られているタコがこれ。 もっとも、最近では輸入タコが多い。 ここのタコも、値段は下がっているとか。 |
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宗谷岬から根室までポーテージ。 この時点では、まさか根室から先が漕げなくなるなんて 夢にも思ってない。 |
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オホーツク海沿岸。 見てのとおりずーっと砂浜。 漕がなくて良かったと思った。 河童の旅は楽しいのが主目的なので、こういう漕いでも おもしろくないところは漕ぎたくない。 1日風景がかわらないなんて最低だよ。 |
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根室の友人に連れられて納沙布岬へ。 ちなみに、稚内の手前はノッシャップ、こっちはノサップ なんだそうだ。どちらもアイヌ語。 北海道は、アイヌの土地を侵略してできた所です。 |
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根室名物アメリカンドック砂糖まぶし。 信じてもらえないが、本当に根室限定のものらしい。 釧路に行くと、もうないとか。 |
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これも根室名物。 名前は忘れた。 コンビニでも売っていて驚いた。 追記 「エスカロップ」 なみぽん@道産子さん情報。 |
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根室といえば根釧台地だよ。 というわけで、記念撮影。 授業で教えるのだ。 根釧台地にはパイロットファームが作られ酪農が さかんです。 ウソじゃないけど、この政策は大嘘。 農家は莫大な借金を負わされている。 |
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ドナドナの牛。 | |
フツーに馬がいる。 ちなみにシカもフツーに道路の脇にいる |
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ツルも普通にいる。 | |
さて、行くべいと、根室港から出発。 | |
ところが、また風にやられて20キロしか進めず入港。 しかし、この後恐ろしいことが。 今考えたら、この雲は地震雲だったのか? |
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翌日、納沙布岬をかわす。 そして、またしても風が上がり、岬をかわした 太平洋側の珸瑶瑁港に入港。 |
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そして、運命の日を迎える。 強風と雨の中、暴れるテントを気にしながらウトウト していた早朝。十勝地震がやってきた。 とにかくカメラとパソコンを持って、坂の上に逃げた。 幸いに津波は岸壁を越えず、かわうそ号に被害は なかった。しかし、この先の港には津波が押し寄せ、 多くの被害が出ることになった。 これは地震直後の珸瑶瑁港。 |
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これ以上進むのを断念し、再び根室の友人宅へ。 これから帰るのに、なぜかFM根室に出演。 ここで「アンパンマンのマーチ」をリクエストした。 なぜかそれが根室で論議を呼んでいるらしい。 あの歌の歌詞は、河童の人生の応援歌なんだが。 みんな、一度カラオケで歌ってみるべし。 |
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根室−小樽ポーテージ。 その前に、稚内−根室往復1000キロを24時間で やったばかりなのに、また根室−小樽1000キロを 走ることに。 レンタカーを24時間で借りたので、24時間以内で 走りきるしかない。パリ・ダカよりも厳しい。 |
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2度と行くことはないと思っていた小樽に行き、 もうやけくそで観光に。 余市の食堂が安くてうまいという話を聞いて、 さっそくいってみた。 |
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ニッカウヰスキーの工場。 ここでしめ縄に柏手を打った老人に河童が激怒! ホムペで糾弾したのだが、そのおかげでお年寄りの 読者が減った。 年長者は、若者の範であれ、というのが河童の論理。 |
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上と同じ食堂での第2弾。 これが680円だったか。 ともかく、この値段のいくら丼がどんなものか食べて 見たかった。 キャンプ中の主食は、インスタントラーメンだったから その反動も大きい。 ちなみに、新しく持っていったGストーブは、 最後まで快調に動いた。 |
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帰りのフェリーの上で。 北海道が5分の2しか漕げなかったことが、 残念であり、不満であり。 とはいえ自然には勝てようもなく、船上の気分は 複雑であった。 またいつか漕ぎに行くこともあるだろうが、 今は、とりあえずこれで終わっておこうと思う。 何年か経って、やっぱり残ったところを漕ぐぞ、という 気になったら、「海道をゆく」完結編とでもして、また 漕げばいい。 とにかく、楽しくいくのが河童流なんだから。 |