海道をゆくダイジェスト 3

2003年 純情太平洋南下編

朝、しまうのに時間がかかるので、自転車をデッキ上に
積むことにした。
そのために、デッキを補強する。
2003年3月24日
錦漁港出発前。
はやくも2日天候待ちして、やっと出発。
これから旅が始まる。
七里御浜という砂利浜で、燃料タンクが落ちた。
30キロ砂利浜が続き、岸にも着けられない、
拾いようもないというわけで、このまま30キロ漕いだ。
いいトレーニングになった。
本州最南端、潮岬。
潮は西から東に流れている。
当然、猛烈な逆潮にあう。
実は岩場の中にルートがある。
入り口がきわめてわかりにくく、一か八かで入った。
ご覧の通り、ここでもかなり流れている。
この日は、1日漕いで600メートルしか移動しなかった。
潮岬の東港から西港まで。
直線距離は短いんだが…。
紀伊半島西岸を北上し、日ノ御崎の根本で天候を待つ。
この三尾という集落は、カナダ移民が多く、別名
アメリカ村とも呼ばれた。
ここで大嵐に遭い、本気でテントが飛んだ。
写真は移設後のテント。全部濡れたので、干している。
まだ寒い時期だったので、悲しかった。
四国に渡り、日和佐の港にはいる。
スロープが町から離れているのでと、保安庁のフネに
横抱きさせてもらう。
いいのか?と思ったが、ありがたく泊めさせてもらう。
同じく日和佐で。
テントを立て、さてメシの支度でも、と思っていると、
保安庁の方から差し入れが。
いいのか?と思ったが、ありがたくいただく。
ごちそうさまでした。
これも日和佐だ。
薬王寺という寺があるので、おみくじを引いた。
船業の「なみあらし用心」や、旅行の「さわりなし」などは
どうでもいい。
待人「たよりおそし」とはどういうこった?
当然、破り去られた。
(しかし、その後の経過からすると、おみくじはあたっている)
珍しく人にとってもらった写真。
これは撮影用で、荷物が載ってない。
本当は、後部のデッキに自転車と荷物が載る。
よくひっくり返らないもんだ。
宍喰の造船所。
土砂降りで、造船所の中にテントを張らせてもらった。
なぜか宴会の最中で、夜までしっかり飲まされた。
もう、へべれけ。
室戸岬。
ご覧の通り、3メートルぐらいのうねりの中を進む。
北東からのうねりだったので、岬をかわしてしまえば
問題ないと出てきたが、かわすまでが大変だった。
このさきっぽは、岩場が点々とのびていて、かなり
大回りしないと危ない。
高知放送「ワローのごきげんワイド」という番組に出演。
なにもしらず、ぺらぺらしゃべったんだが、あとで
高知県の人はみんな聞いていると知って驚いた。
この後、行く先々で「お前か〜!」といわれた。
足摺岬。
偵察に行ったのだが、ここが流れてる流れてる。
とてもかわうそ号では越えられないとポーテージを決める。
お気楽な日本一周なので、これはダメと思ったら、
即、ポーテージ。
あきらめの早さは誰にも負けない。
四国・宿毛から九州・佐伯へフェリーに乗せるため、
船台を組み立てる。
あらかじめ地元に預けておいて、宅配便で送ってもらった。
フェリーの中のかわうそ号。
かわうそ号をこころよくのせてくれたのは、このフェリーだけ。
あとはすべて断られた。
小樽の菊池さんは、キャリーに乗せたディンキーを
持ち込もうとしたら、なんと車料金を取られたとか。
日本では、宿毛観光汽船以外のフェリー会社は
遊びに理解がない。
ついに九州上陸。
とおもいきや、いきなり熱帯低気圧が直撃。
漁協の人が心配して、倉庫の間にテントを移させてくれた。
それでも最強時にはテントが暴れ、しかたないので
上を全部はずしてテントをつぶした。
ただの袋になったテントの中で、3時間ほど寝ていたが、
全然おもしろくなかった。
そんな佐伯滞在だったが、ある日のお昼、出前が届いた。
出前なんか頼んでないぞと思ったら、地元の人からの
差し入れだった。
このチャンポンはうまかった。
日向の造船所にあげさせてもらう。
船体をチェックすると、船底にクラックが。
材料をわけてもらい修理する。
引き上げる時にコロが傾いて船底を突き破ったらしい。
この後、コロの端にガムテープをまいた。
宮崎を越えたところで、シーカヤックに追い抜かれる。
2年目で、始めてほかのシーカヤックを見た。
この夜は、宮崎のシーカヤッククラブ「シーライオン」の
人たちと宴会。パワーのあるメンバーに圧倒される。
パドリングシューズの靴擦れ。
常時濡れているし、1日12時間ははきっぱなしなので、
どうしてもこうなってくる。絆創膏を貼ってもはがれるので、
最後はガムテープを貼ってしまった。
靴下をはけばいいんだが、そうするとさらにふやける。
これは最後まで悩まされた。
九州最南端、佐多岬。
ザマーミロと連発する。
ここまで来るのにどれだけかかったか。
仕事を捨て、家を捨て、ガールフレンドには捨てられ、
死屍累々の上にここまでたどり着いたのだ。
だからやっぱりザマーミロなのだ。
開聞岳をバックにテントをたたむ。
さすがに薩摩富士の呼び名の通り、きれいな形をしている。
海からまっすぐ千メートル近い高さにそびえ立っている姿は
すばらしい。
枕崎駅。
泳いでいるのは鯉のぼりではなく、カツオのぼり。
こんなものがあるとは、ここに来るまで知らなかった。
つくづく、行ってみないとわからないものはある。
河童は一応、社会の先生なんだけどねえ。